Al Grey Jazz All Stars At Travellers Lounge Live
70年代になってジャズロックやフュージョンが流行る一方で、スイングするメインストリームジャズも復活し始めた。この復活劇は何もニューヨークやロスだけとは限らなかった。地方の方に保守的なファンが多くいたのかもしれない、ローカルの都市がその復活の場となる事も多かった。Concordもその一翼を担ったが、本拠地であったコンコルドはサンフランシスコ郊外の小さなベッドタウンだった。初期の録音の多くは地元サンフランシスコで行われ、常に時代の先端を走るニューヨークやロスではなかった。
アメリカ有数のリゾート地マイアミ。ここでもスイングする本流のジャズを聴かせるクラブはいつの間にかなくなりつつあった。そんな時、'75年に一軒のジャズクラブが生まれた。地元のミュージシャンだけでなく、マイアミを訪れる有名プレーヤーの活動拠点となった。マイアミでは7日間毎日ジャズをやる唯一のクラブとして当時は賑わっていたようである。
そして、ライブハウスだけでなく、そこでの演奏をレコードにするためのレーベルも生まれた。コンコルドがジャズフェスティバルをやるだけでなくそのライブの演奏を収めたレコードを世に出すために新レーベルを立ち上げたのと同様に。古くはバードランドの経営者モーリスレビィーがルーレットレーベルを立ち上げたのをここのオーナーも夢見たのかもしれないが。
このアルバムの主役はベイシーオーケストラを辞めたばかりのアルグレイとジミーフォレストそしてピートミンガーが加わったグループ。ピアノにはオルガンで成らしたシャーリースコットが本来のピアノに戻って加わり、ベースにも直前までベイシーにいたジョンデューク、ドラムにはオスカーピーターソントリオにいたボビーダーハム。メンバーを見ただけで、スイング感溢れる演奏が思い浮かぶ。
ベイシーとアルグレイの付き合いは長い。あの1957年のニューポートに出演したガレスピーのビッグバンドにも参加していた。ガレスピーのオーケストラが解散すると、丁度ベイシーのオーケストラがヨーロッパツアーに向けてトロンボーンを探していたのにタイミングよく採用されベイシーに加わることに。そして、アトミックベイシーと言われたベイシーの黄金期のメンバーとして活躍することができた。その後何度か出入りがあったが71年~77年にも再び長期に在籍した。丁度ブッチーマイルスが加わってパブロにアルバムを多く残した晩年の黄金期だ。ベイシーオーケストラでアルグレイのあのプランジャーミュートのプレーは無くてはならない存在であった。
ケントンやハーマンオーケストラはある種の新人養成所、ここを鍛錬の場として育っていったプレーヤーは多い。一方でベイシーやエリントンは新人が次から次へと入れ替わることはない、それなりの経験を持ったプレーヤーが徹底的にベイシーサウンドやエリントンサウンドを鍛えられる。このアルグレイもベイシー直々に色々指示を受けたそうだ。オーケストラ全体の演奏だけでなくトロンボーンのプレーについても。知らず知らずにベイシーサウンドが身に付くということだろう。
そのようにベイシーサウンドで鍛えられたメンバーがコンボでやってもスイング感の基本は変わらないが、ベイシーオーケストラを辞めた直後で、ライブという事もあり皆のびのびとプレーしている。デュークの余計な事をせずに確実に4ビートを刻むベースもかえって新鮮だ。
ドラムのボビーダーハムの切れの良いドラムも光るが、ボーカルも得意とは知らなかった。グラディーテイトには及ばないが、スキャットを含めてライブでの余興の域は超えている。バックでグレイが語り掛けるようなプランジャーミートで本領発揮だ。
マイアミのジャズを支えたこのクラブもその後は話題になる事は無かったような。レーベルもその後どうなったかは分からない。
志は高くとも、それを実現するためにビジネスも思い通り成功するのは難しいものだ。
1. Travellers Lounge Grey^Zeit 7:23
2. When I Fall In Love V.Young / E.Hyman 6:37
3. Blue And Sentimental Count Basie 3:48
4. Blues Everywhere Shirley Scott 8:16
5. Oasis Shirley Scott 9:49
Al Grey (tb)
Jimmy Forrest (ts)
Pete Minger (tp,flh)
Shirley Scott (p)
John Duke (b)
Bobby Durham (ds,vol)
Produced by Max Wagner & Dean Goodman
Recorded live at The Traveler’s Lounge, Miami’s home of Jazz, March 13, 1977
70年代になってジャズロックやフュージョンが流行る一方で、スイングするメインストリームジャズも復活し始めた。この復活劇は何もニューヨークやロスだけとは限らなかった。地方の方に保守的なファンが多くいたのかもしれない、ローカルの都市がその復活の場となる事も多かった。Concordもその一翼を担ったが、本拠地であったコンコルドはサンフランシスコ郊外の小さなベッドタウンだった。初期の録音の多くは地元サンフランシスコで行われ、常に時代の先端を走るニューヨークやロスではなかった。
アメリカ有数のリゾート地マイアミ。ここでもスイングする本流のジャズを聴かせるクラブはいつの間にかなくなりつつあった。そんな時、'75年に一軒のジャズクラブが生まれた。地元のミュージシャンだけでなく、マイアミを訪れる有名プレーヤーの活動拠点となった。マイアミでは7日間毎日ジャズをやる唯一のクラブとして当時は賑わっていたようである。
そして、ライブハウスだけでなく、そこでの演奏をレコードにするためのレーベルも生まれた。コンコルドがジャズフェスティバルをやるだけでなくそのライブの演奏を収めたレコードを世に出すために新レーベルを立ち上げたのと同様に。古くはバードランドの経営者モーリスレビィーがルーレットレーベルを立ち上げたのをここのオーナーも夢見たのかもしれないが。
このアルバムの主役はベイシーオーケストラを辞めたばかりのアルグレイとジミーフォレストそしてピートミンガーが加わったグループ。ピアノにはオルガンで成らしたシャーリースコットが本来のピアノに戻って加わり、ベースにも直前までベイシーにいたジョンデューク、ドラムにはオスカーピーターソントリオにいたボビーダーハム。メンバーを見ただけで、スイング感溢れる演奏が思い浮かぶ。
ベイシーとアルグレイの付き合いは長い。あの1957年のニューポートに出演したガレスピーのビッグバンドにも参加していた。ガレスピーのオーケストラが解散すると、丁度ベイシーのオーケストラがヨーロッパツアーに向けてトロンボーンを探していたのにタイミングよく採用されベイシーに加わることに。そして、アトミックベイシーと言われたベイシーの黄金期のメンバーとして活躍することができた。その後何度か出入りがあったが71年~77年にも再び長期に在籍した。丁度ブッチーマイルスが加わってパブロにアルバムを多く残した晩年の黄金期だ。ベイシーオーケストラでアルグレイのあのプランジャーミュートのプレーは無くてはならない存在であった。
ケントンやハーマンオーケストラはある種の新人養成所、ここを鍛錬の場として育っていったプレーヤーは多い。一方でベイシーやエリントンは新人が次から次へと入れ替わることはない、それなりの経験を持ったプレーヤーが徹底的にベイシーサウンドやエリントンサウンドを鍛えられる。このアルグレイもベイシー直々に色々指示を受けたそうだ。オーケストラ全体の演奏だけでなくトロンボーンのプレーについても。知らず知らずにベイシーサウンドが身に付くということだろう。
そのようにベイシーサウンドで鍛えられたメンバーがコンボでやってもスイング感の基本は変わらないが、ベイシーオーケストラを辞めた直後で、ライブという事もあり皆のびのびとプレーしている。デュークの余計な事をせずに確実に4ビートを刻むベースもかえって新鮮だ。
ドラムのボビーダーハムの切れの良いドラムも光るが、ボーカルも得意とは知らなかった。グラディーテイトには及ばないが、スキャットを含めてライブでの余興の域は超えている。バックでグレイが語り掛けるようなプランジャーミートで本領発揮だ。
マイアミのジャズを支えたこのクラブもその後は話題になる事は無かったような。レーベルもその後どうなったかは分からない。
志は高くとも、それを実現するためにビジネスも思い通り成功するのは難しいものだ。
1. Travellers Lounge Grey^Zeit 7:23
2. When I Fall In Love V.Young / E.Hyman 6:37
3. Blue And Sentimental Count Basie 3:48
4. Blues Everywhere Shirley Scott 8:16
5. Oasis Shirley Scott 9:49
Al Grey (tb)
Jimmy Forrest (ts)
Pete Minger (tp,flh)
Shirley Scott (p)
John Duke (b)
Bobby Durham (ds,vol)
Produced by Max Wagner & Dean Goodman
Recorded live at The Traveler’s Lounge, Miami’s home of Jazz, March 13, 1977