なれ合い、妥協無しの本音ブログ

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現実を直視!日本は30年、良くなっていない劣等国!誰が政治屋を支持してきた?

2022-06-14 12:19:33 | 考え方

日本は四季があり、長い歴史があり、先人が大切にして守ってきた文化伝統もある。

長い歴史があるとは素晴らしいことで、隣国のように王朝が変わり続けているのに4000年だとか5000年だとかいうのは、実は本当の長い歴史とは言えない。革命の歴史は時代を分断しているからである。土地が存在しているだけで、長い歴史というのはペテンの類である。

ところが日本も、決して褒められたことだけではない。今の日本は過去を食い物にし、私利私欲の連中が群れをなしている。

政治家、政治屋の違いを過去に書いているが、誰が政治屋を支持しているのか。地域の人ではないか。

なぜ、私利私欲の政治屋を選ぶのだ。結局は、見返りを求めたドロドロの関係を証明しているだけである。

連立与党の自民党と公明党。基本的に自民党が与党であり続けてきたわけだが、日本は悪化しかしていない。この現実を直視しないからこそ、日本はますます腐っていっている。

自民党は公明党の支持母体である創価学会にも取り入っておかなければ票が難しい、こんな政党、存在意義などとっくに無い。

国会議員の仕事は何か。高額の報酬をもらっているにも関わらず国の仕事をせず、再選のために地元しか考えてない輩を政治屋と呼ぶ。単なる職業としての政治が欲しいだけなのだ。本当に、どこまでいっても国のことなど考えていない。考えている人こそ政治家であり、地元優先をする連中は全員、政治屋である。

日本は全く良くなっていない。もはや四季の美しさ、長い歴史、文化伝統だけではカバーできない。観光大国を目指すとしながら、例えば、では自然はどうか。破壊活動しているのは誰か。

はっきり言うが、エコだ、再生可能エネルギーだという名の太陽光パネルや風力発電は、全部嘘だと断言する。そもそも現状の自然と景観を破壊する経済活動は全部、嘘である。個人の家庭の太陽光パネルでさえ、まず採算は取れない。

結局は太陽光パネルや風力発電設備を大量生産している外国企業が儲かるだけなのだ。日本人の基本さえ踏まえていない暴挙でしかない。金、金、金。

地域の人たちも同様で金、金、金だ。場所を提供する人たちがいるから、大規模な太陽光パネルの設置、巨大な風力発電設置が可能になる。

観光立国とは外国人に多く来てもらうということだ。外国人は日本の景観を楽しみにして来る人も多い。しかしもはや大自然とは言えない醜い太陽光パネルと風力発電。奇怪なあの様子にあきれ果て、再びそこに行きたいとは考えないだろう。

もちろん大規模開発であるとは、政治屋が関わっていないはずがない。この醜い構造も日本を破壊する一つである。

日本は経済的に、まったくダメである。それも単に失われた30年や、停滞の30年ではない。他国が成長しているなかで、まったく伸び率が無い国とは完全に衰退である。安倍元首相をはじめ、いかにも日本が良くなっているように言う連中は、政治屋であることを見逃してはいけない。

政治は結果である。全て結果である。公約だマニュフェストだ、どこがどれだけ守ってきたのか。選挙の時だけ「舌先三寸」、お涙頂戴の芝居、そして統計さえ誤魔化していかにも実績があるという連中だらけではないか。

結果が全ての政治だからこそ、その人たちが何をしたのかで判断するだけである。北方領土の返還や拉致被害者問題を口にしながら解決しなかったのは、元首相を筆頭に全員が政治屋である。

もちろん、自民党は保守でも何でもない、単なる偽物であることに気が付かない自称保守の支持者も同罪なのだ。ということは、偽物の自称保守を支持し続けるとは、売国政治でしかない。再生可能エネルギーという名の売国行為が出来ているのは、現政権及び地方自治体が腐っていて国益を考えない証明でしかない。

そして自民党とは、公明党とずぶずぶの関係で政権維持だけが望み。国が良くなるはずはないではないか。

対して野党はどうか。もはや語る必要も無いほど邪魔な存在である。何が大事か分からず、小事のこだわり、日本人の典型である「バケツの中のカニ」で足を引っ張りあうだけだ。

しかし当選したなら、劣悪なコメンテーターをしていれば生活できるのだから、責任を取らず騒いでいて金が入るとは、三面記事とおしゃべり好きな人の集団では皆、天職だと思っていることだろう。

この国日本は、もはや一部を除いてまともな賃金上昇が無い。実質賃金は減少である。賃金が多少上がったとしても、加速して物価はあがっている。なんだかんだと支出が増える。増税もしている。国民の多くはとにかく我慢の強制しかない。

我慢の強制を誤魔化す言葉がある。未だに教育を含めて日本の心は「和」だとかなんだとか、戯言をいうのだ。つまり「黙っていろ」、「考えるな」という意図を「和」という言葉ですり替えている。その嘘教育を見抜かねばならない。

個性が大事と言いながら、では個性的な人が出てきたら今度は和である、調和だ、協力だ、配慮だ、バランスだと逆を言って潰しにかかる。子供でどんなに能力があってもまともな飛び級は無く、バケツの中のカニどもの中に閉じ込められる構造。

政治、企業を含めた大人社会のなーなー、なれ合い、忖度構造は個性と真逆であり、それは上役の顔色を窺う職業先生だらけの学校も同様。ずば抜けた子供が才能を生かせる可能性は絶望的なほどゼロに近い。

ところで民主主義とは、有権者一人一人が自分自身の意見を持ち、それを戦わせて良いものは良い、違うものは違うとしたうえで、多数決を取るということ。黙っていろ!ではない。

和だとか、穏やかであるとか、民族性だとか、全部違う。自由主義、民主主義国家というのなら、静かで従順な国民ということそのものが間違っている。だから日本にはいまだに、自由も民主も無く、肝心の国民はその意味すら理解していなとしか思えない。

自由に政党を選ぶ、多数決だ、こんなレベルを自由主義と民主主義国家だと思っているのは、既にその人が何も学んできていない証明でしかない。

また、反論しない、反撃しない、そういう洗脳は戦後のGHQに始まり、それを利用してきたのが自称保守、あるいは保守本流なる意味不明な言葉で民衆を惑わしてきた連中ということ。日本人はいい加減に、その洗脳から脱出しなくてはいけない。

知る必要な無い、黙って自分たちに投票しろ、そうして物言わぬ民衆を好むのが政治屋であり、そういう人たちが国のかじ取りをしてきた結果が、このみじめな国、日本ということだ。

有事の際に黙って列をなすことを素晴らしいというが、違う。どうしていいか分からない、自分の考えも無いからとりあえず黙って並ぶのが今の日本人だと思えてならない。

歴史的には敗戦の失敗に始まり、アメリカ主導の政治でまんまとやられた政治の失敗、それが現代日本のこのだらしなさに繋がっている。アメリカの奴隷のような政治の下、おとなしい、真面目だ、調和だとか意味不明の言葉で騙されて声を上げない国民という図式は完全におかしい。

ところで民間企業が原材料を理由に値上げするが、では原材料費が下がったら値下げしているか。上がる一方ではないか。

同じ値段で売っていても、内容量を減少させているのは値上げそのものである。そんな詐欺まがいのことを平気でやる。

添加物を大量に投下して、飲食する人たちの健康は考えない。だから癌大国。そして医療関係が儲かるこの狂った仕組みは、政財官一体の日本破壊活動である。

多くの企業で正社員は減少。派遣その他の労働者は、正規雇用とはますます賃金格差が広がる。しかし一度入ってしまえば、働かないおっさん、おばさんでも辞めさせることができない不気味な労働制度。企業なら戦力にならない人を解雇するのが当たり前のことなのに、出来ない。

左翼の様に何でも保護を訴えると、結局は自然環境もそうだが悪用されるのが落ちである。環境保護と言いながら大々的な開発で環境破壊をする「自然エネルギーの活用」というキャッチフレーズとまったく同じである。

電力、水道、ガスも基本料金は全部止めよ。完全従量制として本来の企業活動をすべきである。甘えた組織は悪化するだけである。だから日本全体がいつまでもダメなのだ。基本的な生活部分に金がかかりすぎるのだ。しかし多くの人はまったく疑問を持たない。基本料金や契約料金というものは全部、ダメである。

さて先日、某教育委員会で長年、偉い立場であった上級国民側の人と話す機会があった。

その人は言う「人生100年時代、80歳過ぎまで働かなくてはいけない社会になる。健康は大事だが、新たな学びを繰り返しながら新しい仕事に挑戦していく生き方が大事になる」と。

これは典型的な上級国民の発想である。そもそも論から指摘していく。

若者の多くはまともな職に就けない。安定した正社員になれない。多くの組織はすでに硬直し、給料が高い働かないおっさん、おばさんが遊んでいるのに解雇できず新陳代謝が無い。

金が無い、仕事が無い、そういう多くの若者という現実を直視したなら、いつまでも何歳になっても、年寄りになっても仕事をしろという発想は残酷そのものでしかない。

また、失業や解雇された人たちの再就職がどれだけ大変かもわかっていない。ましてや高齢者の再就職など、皆無と考えねばならない。新しい仕事に挑戦どころではない、無理だというのが現状なのだ。可能性すらほとんど無い!

もし、求人欄に条件年齢が復活したら実に分かりやすいのだが、平等なのか何なのか本音を隠すからダメなのだ。実態は年齢制限があるのに求人では誤魔化すことになっているから、双方に無駄な時間が発生しているが形式大好きな日本は是正しない。

現代において未だに座っていればお茶が出てくるような組織や立場に長年いた人たちは、絶対に本当の日本を理解することはできないのだ。

こういうことが分からない人たちがこの国をコントロールしているわけだ。よくなるはずが無いではないか。

当方の考えは、50歳定年制である。人間、50歳になったら思いっきり次のステージに行けと考えている。65歳が定年だからと社会や会社のルールに従って、退職する日を指折り数える人が多いからこそ衰退なのだ。然るにこの国はさらに年寄っても働けという側。

なぜ、こんな幼稚なことさえ分からない連中がこの国を操作しているのか。そう、なぜではない、そういう連中を選んでいる人たちがいるからである。

年金制度を大改革し、当たり前に支給されるようにせねばならない。しかも50歳からもらえるような大改革。問題をどんどんと先延ばしにし、支給年齢も上に上にとする国は間違いなく将来性は無く失敗する。

官僚は政治次第である。政治が政治屋だから官僚は前向きな仕事をせず、結局は政治屋と同じで制度を維持し、権力が集中することにエネルギーを注ぐ。実はすべて、有権者が間違った判断をするからグルグルと回って国が悪くなるだけなのだ。

50歳で定年とし、再雇用とは戦力となれる人のみである。本人が残りたければ残れる現状の制度は完全に腐っている。だから日本の企業はだめなのだ。変化を嫌い、常に現状維持を選ぶ。

現状維持とは衰退でしかないという現実を受け入れる可能性すら存在しない。

50歳になったら、何かにチャレンジせよ、そうとしか思わない。それも金、金、立場、立場というしがらみではなく、例えば趣味やボランティアを充実させる社会ということだ。そういう社会にならなければウソだ。

勤めている時から何もしてこなかったからこそ、定年後に何をしていいか分からず、いつまでも組織にしがみつこうとするのだ。

そもそも論として、先延ばしのシステムがおかしいから、個人の問題というよりも構造そのものが狂っていては皆、おかしくなるのも当たり前とも言える。

定年が60になり、65になり70になりでは、残り時間の方が圧倒的に少ない。こんなことだから、だから何も考えず、考えることはどうやって組織にいるかとなる。しかも仕事をしている振りをしながら。

そもそも単なる組織ではないか。それを自分の人生だと考えるのは、実はみじめであろう。仕事を充実させることと組織にしがみついていることは何の関係も無い。

中には単なる組織であることを忘れ、そここそが自分の居場所だと錯覚するから、いつまでも居残る発想になるのだ。偉そうにふるまうわけだ。仮に自分が作った会社でさえ、健全化のためにどこかで離れるべきが、いつまでも居残るワンマン型経営者は既に独裁者になっていることさえ分からない。

健全な精神があるなら、さっさと後輩に道を譲れ、それしか無い。

年金支給も遅らせていくのは国家的詐欺である。そこにメスを入れるとした元首相がいたが、結局それは消滅。よくもそれで保守を自認できるものだ。それこそ恥知らずではないか。

ところが50歳定年で年金もあるとなればさすがに残りの時間は長く、自分の人生を正面から考えねばならない。だからこそ人生半ばの40代から何をすべきかを本気で考え出す人が増える。それまでに引き継ぎできる体制を作り、多くの企業が会社内を循環させるようにすれば当然、社会も活性化するのだ。

仕事が遅くてもなんでも一生懸命だったという意味不明の感情論を全部排除し、その中身が確かな人だからこそ、会社側は残ってほしいと考えるべき。そして当人と話し合うことにすれば、会社はいつまでも良い状態にある。

それでも組織とは60歳になったら、誰もが完全定年である。老兵はただ去るのみ。逆にどんなに優秀でもそれ以上いてはいけない。それだけ変化する組織、社会でなければいけないのだ。

特に政治は20年定年制である。60歳定年ではない、20年定年制である。権力者が長い間、権力の側にいると絶対に腐敗する。断言できる。

政治も企業も理由を並べて居座る連中は全員、社会に貢献していない。年齢が上の層がいなくなるからこそ、若者にチャンスが生まれる。だから年寄りは去れ、ということだ。

長い間居座り続けて、若者論を言うのは政治屋とまったく同じ精神構造で、何が大事かが分かっておらず、ほかならぬ自分自身という存在が「害」であるという認識が無い。

本来、日本人とは恥の文化を持っていた。しかも裏表無くという考えがあった。だからこそ「お天道様に顔向けできない」という感覚があったからこそ、見えないところで手を抜くことをせず、努力精進したわけだ。今の日本でこの考えはほぼ壊滅といってよい。

「もし約束を違えたなら、万座の前で笑い飛ばして構わない」とは、江戸時代の商人倫理と言われている。然るに現代政治と現代ビジネスは、「舌先三寸、騙される方が悪い」になってしまっている。

誰もかれも、己や組織の利益しか考えないから、政治屋とそれにくっつく悪徳商売屋という構造になり、地域や国を破壊しているのである。

国民は目覚め、再選を目指す人が政治家か政治屋かを見極め、政治屋を落選させねばならない。本気でこの国を、自分たちの子孫を、多くの子供たちの未来を考えるのなら、1%でも良心があるのなら、本気で歪んだなれ合い構造を変えねばウソである。

変えたいが投票すべき人が見つからないから、とりあえず前と同じ党にしておくか。これは最悪の考えである。変えたいなら変えろ、新しい人たちを見つけろ、そういうことになる。調べもせず、単に日常生活を送っているだけでは、自分自身が変わっておらず、結局その姿勢がこの国を悪化させているわけだ。

他人を変える前にできることは、自分が変わること。

現状のメリットのみを追いかける国が発展するはずはないではないか。失われた30年は、もうすぐ40年となり、そしてアメリカ、中国、ヨーロッパその他に利用されるだけの構造も変えることが出来ず、確実にうま味を吸い取られるだけの現状。当然悪化し、滅亡に向かう。

それも諸外国と戦える政治家がいないからだ。皆が政治屋を選ぶから、全ての発想が間違っているから、諸外国に利用される。

政治は実績をみよ。「政治は結果である」という大原則を常に忘れず、何をしたかで判断せよ。

「もう一度チャンスを」、「議席を死守」、「自民党公認」、こういうことは全部嘘である。政治屋どもを政界からたたき出し、本気でこの国を良くすることを考える人に、かじ取りを任せなくてはいけない。

あなたの目先の利益が、あなたの子孫の未来を破壊しているのである。



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