パレットⅡ

ライブのお知らせと。
2010年~2016年の記録です。

気仙沼前夜まで

2011-11-11 22:00:00 | トピックス
8/20にトモニプロジェクトの西岡さんから、気仙沼のバレンタインのオーナー、熊谷和幸さんの話を聞いた。
津波で自宅件バーが被災、大切にしていたギターやアンプ等が水没したとのこと。
熊谷さんは店の再開に向けて準備を続けているという。
西岡さんに「音楽の好きなもの同士で交流されたらどうですか?」ということで、翌日連絡をとってもらった。
「再開の時には是非お越しください」とメールをいただいた。
それから3週間をかけて、まだ見ぬ気仙沼のこと、神戸のこと16年前のあの日のことを思い浮かべ、熊谷さんへの歌「霧笛の町」を完成させた。
そして、9/17トモニプロジェクトの「コンゴのストリートチュルドレン支援コンサート」で歌わせてもらった。
西岡さんの評判も良く「この歌の宣伝隊長になりますよ」といってもらった。

当初は9月末オープンとの予定だったので、10/8.9.10辺りで気仙沼入りを考えいたが、工期が延び延びになって最終的には10/31オープンとなった。

その間に、西岡さんから現地のミュージシャン、小田雅秋さんを紹介してもらった。
小田さんからは「サンフラワー」のCDが届き、更に、廣野純朗さんを紹介してもらう。

小田さんの「サンフラワー」は阪神淡路大震災で亡くなった加藤はるかちゃんの「はるかの向日葵」を植える三陸ひまわりの会のための曲。
もう、偶然とは思えない流れ。
そして、廣野さんは震災がなければ5月に仲間たちとバレンタインでライブをする予定だった。
その話を聞いて僕のなかにはイメージが出来た。
3/11がなければあったはずの廣野さんの仲間たちのライブをやってもらう事を。
それが、再開店するバレンタインの最高のお祝いになるのではないかと。
そこに、僕も仲間に入れてもらって「霧笛の町」を歌う。

そして後は、廣野さんと熊谷さんにお願いした。

西岡さんの宣伝の効果で、10/31には神戸新聞の大月さん、11/1には毎日新聞の山川さんに取材をうけた。

そんな中、11/3に顔面神経麻痺を発症。
顔の半分の神経が麻痺する病気で11/4からステロイド注射による治療開始。
声は出るが、滑舌が悪いし唇が麻痺しているためハーモニカが吹けない。
完治までには長い時間がかかるとのこと。
しかし、不思議と気持ち的には落ち着いていて、何とかなると思った。

毎日新聞は11/5に神戸版のトップに掲載してくれた。
11/7には糸井重里さんが、ライブのことをTwitterで紹介してくれた。
そして、神戸新聞は11/10社会面のトップに大きく載せてくれた。

11/10最後のステロイド注射、来週からリハビリ、微かに改善の兆しが見える程度で症状に変化無し。

その夜、破裂音や発音しにくい音を歌詞カードにチェックして曲を決める。
とにかく、今、現状で出来る最大限のことをやるしかない。
しかし、不思議と悪いイメージがうかばない。
前日は早めに休む。