《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
5月14日の《曇り空のかけら》さんの「人を斬った刀」を読んで、コメント欄がないのでちょっと一言
https://blog.goo.ne.jp/yamanahirokazu
刀の祟りであろうか、所持者が相次いで亡くなったという話。
今井泉不動の前で考えたわけではないが・・・。
刀が祟ったという言い伝えを時々耳にする。
偶然が重なると、そこに物語が生まれる。
それゆえ偶然と思われなくなり、真実らしく語り伝えられる。
村正が良い例だ。
江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃などの大衆演劇が拍車をかけた。
祟りの話は幽霊話と同様に頗る面白い。
戦国時代以前の刀は、殺しているかは分からないが、かなりの高い確率で人を斬っている。
武器とはそういうもの。
ところが刀以上に人を斬ったのは槍や薙刀だ。
刀は専ら自らを守るために用いられた。
攻撃武器は槍や薙刀、弓矢だ。
薙刀と刀を戦わせると、薙刀の方が格段に強いことがそれを証している。
刀が祟ったという創作読み物はかなり多いのだが、薙刀が祟ったという話は聞かない。
江戸時代、武士は薙刀を手挟んで闊歩していたわけではない。
武士というと刀を思い浮かべる。
刀の方が遥かに物語になりやすいのだ。
昔から言われているのは、刀は所持者を守っているということ。
剣は不動明王の化身である、という考え。
守りの力量も、祟りの力量も現代の計測器では計れない。
気になるのであれば、高僧にお祓いしていただき、気持ちだけでも軽くしておくのが良かろうと思う。
石段から見ろした不動の瀧。
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