《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
お猿畠の大切岸が石切り場跡であるなら、なぜ尾根筋を遺したのだろう。
尾根に沿って石を切り出すより、山の一部を切り崩した方が効率的だ。
さらに石を切り出して山の一部をなくし、朝比奈の切り通しと同様に大町から逗子へ抜けるためのしっかりとした道を設ければ産業の要になる。
それをしないで、壁のような尾根筋を遺している。
なぜなんだ。
大切岸は石切り場ではないだろう。
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真横からの朝日を受けて・・・
お猿畠の大切岸以外にも鎌倉の尾根筋は、多くがこのような切岸と呼ばれる構造とされている。
この地形とされた本当の理由は何だろう。
説明にある石切り場跡は近世のものだろう。
切岸はもっと古い。
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川名清水谷戸にはこんな水場がいくつかある。
木々が茂っているものの、土地としては余り有用ではない。
湧水が多いため、水はけを良くする工夫だ。