鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

川名清水谷戸の小道で

2021-07-31 07:12:34 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

まだ川奈清水谷戸を歩いている。

谷戸の両端には小道があり、谷戸の奥まで続いている。

かつての水田は放置されて久しく、ススキなどの雑草がはびこっている。

蓮田と異なる一方の小道を奥へ。

小道の水田側に一叢の杉が立っている。

谷戸は山際まで掘削されているため、山際は切岸のようだ。

元来の自然の山際は複雑に出入りしていたものだが、掘削して道なりをなだらかにした。

そのために水田側に杉の木立がある、とも思えない。

人間が手を付けてはいけない場がある。

土地の神の降りる場。

山そのもの、あるいは大きな岩や樹木が神で、それを動かすことは禁忌とされてきた。

一叢の杉は、そのような存在かも・・・。

鎌倉の山際に、多くの祠が遺されているのがよい例だ。

常と異なる景色に出会うと、いろいろ考えてしまう。

 

 

 

 


川名清水谷戸の蓮田

2021-07-27 21:19:43 | 花のある鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

蓮田が川名清水谷戸にあったことを思い出し、蓮の花が咲いていることを期待して訪れてみた。

Web上には各地の蓮の写真が溢れているのだが、ここには一つしか咲いていなかった。

ちょっと寂しい。

花を咲かせるには手入れが必要なんだろう。

ここは、川名清水谷戸の呼称通り、湧水が多いところ。

ところが今は背後の山の上まで宅地化されてしまって、湧水量が減っているようだ。

直ぐ近くに溜池があるも、今は水田もなく、昔の面影を残しているだけ。


陰陽の瀧 今泉不動の静寂

2021-07-24 08:11:52 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

今泉不動の背後の山を削り取ってゴルフ場を造成したのはいつ頃だろうか。

木々が茂って判り難いため、まったく気づかずにいた。

とある日、不動尊の裏に回ったところ、すぐ隣でゴルフ場のための整地をしている最中であった。30年も前のことである。

 

不動尊の前を、岩を切り崩しながら流れる細流は砂押川に交わる。

ここに陰陽の瀧がある。

人気のない時間に来るのがいいだろう。

男瀧も女瀧もゴルフ場から流れ出ていると考えないようにしている。

有難みが薄れてくるではないか。

かつて、修験者が瀧にうたれて修行したと言われるような、この空気感は残し伝えたい。


和賀江島を眺める

2021-07-23 15:45:55 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

光明寺の前辺りが材木座。

材木座の名称の通り材木を扱う座が置かれたからと考えて良いだろう。

和賀江島もあって民家が密集していたという。

南北朝時代には佐々木氏が邸を構えた。

鎌倉にとって重要な場であったようだ。

 

住吉城の真下が和賀江島。

和賀江島は、大陸からの船が停泊できる人工の島であったという。

現在は海中に遺されている礎石が、干潮時に姿を見せる程度。

ちょうど干潮であったため、ごろごろ石の上を歩いてみた。

ごろごろ石は、鎌倉で産出する鎌倉石ではない。

人工島、和賀江島の基礎を成すためには硬質な岩を用いなければならない。

鎌倉石は余りにも脆弱であるため、礎石にはならない。

ただし、鎌倉の谷戸を掘削した際に出てきた岩や土を、和賀江島の表土に用いたかもしれない。

だがそれらは水に侵食され、遺されていないだろう。

また、和賀江島に大陸からの船が停泊したとは思えない。鎌倉の海は比較的浅い。

沖に船を停泊させ、小舟で荷を下ろしたのであろうか。

大型船の寄港地としては六浦が有益であろう。