鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

弁ヶ谷辺り

2020-07-31 22:16:04 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

弁ヶ谷は、地理的には鶴岡八幡宮から南へ徒歩で30~40分、さらに歩いて数分で海岸に出られる辺り。逗子と往来する鎌倉の入り口の一つである小坪や和賀江島に近いことから、この谷戸が守りのための要所であり、武士の居館が置かれたであろうことは想像できる。

弁ヶ谷は、いくつかの小谷戸があって入り組んでいる。他の地域と同様に山際まで家が建ち並んでいる。ただ、景観を良くするためと、崩落防止のために、崖面がコンクリートで覆われているところが多い。10年ほど前にヤグラがいくつか見えていた崖面(弁ヶ谷東やぐら群)が、何時の頃からか、見えなくなっていた。ヤグラは墓であることから、景観として好まれないのであろう。庭を構成する景色として採り入れている方もあるかと思うのだが。

さて、弁ヶ谷の最奥は、現在放置されたままで、藪がひどい状態である。木々が茂り、見通しが悪く、写真も撮れそうにないので、様子をみている。というのは、昔、と言っても20年ぐらい前だろうか、谷戸の最奥にまだ人家があり、庭園らしきものがあったのだが、ここもいつの頃からか、藪に変じていたのだ。撮れる機会を窺っている状態だ。

住宅の跡は、写真が撮れそうであれば撮らせてもらっている。撮れたからといって発表したい写真が出来上がるわけではない。藪を撮ってみてもどうしようもない。

写真は光明寺の近くにある空地である。草が茂っているため真冬の草の枯れた頃に訪れてみた。撮影者の背後は山手で草に覆われているが切岸のように切立ち、ヤグラがあった。典型的な鎌倉の住宅地である。ヤグラは近代まで守られていたようだ。写真の先は、現在は家が立ち並んでいて鬱陶しいが、江戸時代には海が見えたのかもしれない。


手広 女坂の切り通し 続

2020-07-20 21:17:13 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

女坂の切り通しと言われているけれど

 

切り通しを少し上の方へ行くと

この写真の左側に上がることもできるのだが・・・

切り通しの上は下草も少なく手入れが行き届いている

地図を確認すると人家の裏手であり

尾根近くに小さなお社が鎮座している

山手の斜面は明らかに人家と関連している

谷戸が良い状態で遺されているのだ

 


手広 女坂の切り通し

2020-07-17 21:31:12 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

切り通しの謎めいたところを再確認している。

もう一例、手広の谷戸坂の切り通しの近くに、あまり目立たない状態で女坂と呼ばれる切り通しが遺されている。住宅地の端の山際に斜めに通路が切り込まれているのだが、進むに従って左右の崖が深くなり、とにかくどんどん上に進んでゆく。坂の途中に墓地があり、やぐらがある。尾根を掘り込む構造は高野(大船)の切り通しや明月谷の切り通しと全く同じである。

因みに、谷戸坂の切り通しは男坂と呼ばれていたそうだ。普通、急な坂は男坂、なだらかな坂は女坂と呼び分けるが、手広に至る道筋を考えると、女坂の方が歩き難いように感じられる。また、女坂の方は時代がかなり古いと思われる。

この切り通しの設けられた尾根の前、即ち谷戸坂の切り通しの手広側には、江戸時代に名主の屋敷があり、古くは有力武将の屋敷があったと思われる。

女坂と呼ばれている切り通しの入口辺り