筆者は鎌倉の歴史書をあまり読まないし、それを頼りに説明を書かないようにしている。鎌倉について知りたいのであれば、詳しい書物があるし、簡単なことならネットでも容易に情報が得られるから、ここで説明する必要もなかろうと思っている。その一方で、筆者は古い地図を良く見る。手元にあるのは明治15年の測量地図。今の地図と比較すれば変化しているところがよく判る。天神山の東南辺りに小山があったはずだが・・・ない。天神山の南に山襞の西端部があったはずだが・・・今はもうない。総て崩されてしまったようだ。何しろ鎌倉周辺の土地は頗る脆弱である。崩しやすい。平地化しやすいのだ。小山の一つや二つ、簡単に削り取ってしまう。
源氏山から連続している山襞、尾根筋の一つが、中央公園の北を走っている。ハイキングコースとしても知られている尾根道だ。この道は、山崎打越の辺りで切り通しのために寸断され、以西はその山並みの痕跡があるかな、といった程度の、高さ3メートルほどの土手のようなものが続いている。その遺されている土手の北側が、かつて小山であったところ。今は土手の上が畑になっており、小山のあったところはマンションなどが建ち並んでいる。
写真を撮っておこうと赴いた。ちょうど畑の所有者がおられた。話をうかがうと、この小山は第二次世界大戦中に軍の飛行機関連の施設建設のために削り取られてしまったそうだ。また、山襞の先端、即ち台状に構造された部分には砲台が設けられていたとか。これら山襞は、鎌倉時代からずっと、戦のために利用されていたのだ。
遠くに見えるのが天神山とモノレールのレール。
この右側が小山であった。
幅数メートルほどの畑が続いているのはちょっと面白い。
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