《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
円久寺背後の湿地も夏場は避けたい所。
何度か写真で紹介した。
でも、年に一度は訪れている。
訪れるたびに奥の竹藪がひどくなっているように感じられる。
かつては2段ほど奥の平場まで分け入ることもできたのだが、今はかなわない。
霜の降りた早朝。
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
円久寺背後の湿地も夏場は避けたい所。
何度か写真で紹介した。
でも、年に一度は訪れている。
訪れるたびに奥の竹藪がひどくなっているように感じられる。
かつては2段ほど奥の平場まで分け入ることもできたのだが、今はかなわない。
霜の降りた早朝。
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
北条政村に関する舘跡はさらに西へと続いている。
写真は、藪と茂った木々だけで興味深いものが何もない谷戸。
つまらない風景だと感じる方も多いだろう。
道路添いに一軒あるのみで、谷戸の奥には家がない。
そう、この谷戸は湿地なのだ。
ずいぶん前、夏場にこの谷戸に入ろうと試みたことがある。
土地の方にマムシがいるよと言われて、もちろんやめた。
以降、冬場の撮影に徹しているのだが、真冬でもぬかるんでいる。
凍りつけばいいと考えるも、それほど厚く凍らない。
水はけを考えて水路が設けられているのだが効果もなく、ズブズブと沈み込む。
これでは家も建たない。
すぐ隣の谷戸には家が建っているのに。
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たちんだい。
北条政村邸跡と言われている。
道路に面して平場が遺されている。
畑だったのだろうか、ここにも居館があったのだろうか。
もちろん今は家など建っていないのだが、この平場の一段高い位置に平場(たちんだい)があることを茂った木々が隠している。
即ち、居館があったとしても、判り難くなっている。
山襞で囲まれた小さな城郭と捉えても良さそうだ。
尾根に出る道があり、佐助稲荷の背後に通じている。
もちろん尾根筋は源氏山、化粧坂、葛原岡へも通じている。
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瑞泉寺裏の胡桃山辺りにはたくさんのヤグラがある。
その中に北条首ヤグラと呼ばれるヤグラ群がある。
天園ハイキングコースからちょこっとそれた山中だ。
位置としては徧界 一覧亭の背後。
ここではヤグラを撮っているわけではないので紹介は避けておく。
天園ハイキングコースから十二所の方へ抜ける道がある。
急斜面を転げるように降ってゆく。
写真は、御坊ヶ谷に出る辺り。
十年ほど前まで小さな畑が営まれていた。
畑の脇にもヤグラがある。近年は物置として利用されているようだ。
写真の右手は急峻な山裾だが、その上の方にヤグラ群があることから、一見寂しいこの辺りにも、かつては寺院がったのだろう。
目の前の竹藪を抜けて出た辺りには人家が立ち並んでいる。
かつて、御坊ヶ谷ヤグラ群が、川の対岸にあって観察することができたのだが、いまは人家にがあることよって、ヤグラ群がどこにあったのか分からなくなってしまった。
十二所と呼ばれるこの辺りは、金沢、六浦に通じる要所であり、今は鎌倉のはずれのような感もあるが、北条氏の時代には武家の邸も置かれていたと思われる。
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まだ瑞泉寺裏の尾根を歩いている。
写真のような尾根部分を掘り込んだ使途不明な遺構がある。
瑞泉寺から裏山の尾根筋に出るためには、ハイキングコースを辿る他、徧界一覧亭への石段を使う方法、谷戸の北西側の尾根筋を経る方法などがあるのだが、この掘り込みの下にも石段があって、尾根と往来ができたのではないだろうか。
ここを撮影している背後は急斜面。
樹々と藪で足下の瑞泉寺は見えないが、東側の竹林に通じていそうだ。