《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
名越切り通しの逗子側出口辺り。
現在の切り通しはここまで。この先は団地になっており、古道は既にない。
かろうじてそれらしい地形が遺されていることから、切り通しはもう少し逗子方面まで続き、今の横須賀線の脇辺りに降りていたかと思う。
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
名越切り通しの逗子側出口辺り。
現在の切り通しはここまで。この先は団地になっており、古道は既にない。
かろうじてそれらしい地形が遺されていることから、切り通しはもう少し逗子方面まで続き、今の横須賀線の脇辺りに降りていたかと思う。
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
人のすれ違うのがやっとの隘路。
上の方には見下ろすことのできる場がある。
この切り通しとは、人々が簡単に行き交うことができるように考えられた道ではなさそうだ。
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
名越を歩いている
何度か名越を説明している。歩くのは飽きない。散歩のつもり。
大仏坂の切り通しでも、切り通しの道の真ん中に岩があったりする。転石ではなかろう。通り難いだろう。邪魔なら動かせばいい。名越の切り通しでは、人がすれ違うのも厄介なほどの隘路もある。
そう、通り難いのが切り通しの目的でもある。
中央が横須賀線わきを降る道。右上に尾根を歩く古道がある。
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
名越の切り通しは、横須賀線のトンネル工事によって、鎌倉側の一部が失われてしまった、と考えられる。
マンダラ堂の西側を経て尾根伝いにトンネルのある谷戸と隣の谷戸に降る道も存在したようだが(現在のトンネル脇を降る道は昔の切り通しではないと断じている人もいる)、切り通しに関わる地形を考えると、トンネルの辺りを降ったと考えて良いだろう。
写真はトンネルの横をのぼる途中。
この正面の上に切り通しを見下ろすことのできる平場があるのだ。