私たちの多くは、国を愛するといういうことを、自然かつ高尚な感情だと当然のように考えがちである。
しかし、実際、こうした感情は、人類の歴史の中では、比較的最近発達したものである。
国を愛するということは、特に自然でもないし、多くは特に高尚でもない。
愛国心という言葉が生まれたのは、約3世紀前くらいであり、宗教制度を世俗化する啓蒙運動の一環として取り入れられたものである。
国家に対する感傷的な愛着は、教会に対する忠誠に取って代わり、より良いものになるとされた。
しかし、すかさず反発は、起きたのである。
1775年にイギリスの批評家であるサミュエル・ジョンソンが「愛国心はならず者たちの最後の隠れ家だ」と言ったことは反発の激しさが表現している。
また、愛国心は宗教と同様に、価値ある活用法があるだけではなく、危険な形で誤用されることもあるのである。
ところで、世界の大部分において、国民国家は比較的新しく、今でも極めて脆い統治形態にある。
忠誠の対象は、多くの場合、今よりずっと限定的であった。
例えば、狩猟採集民は、自分が属する小さな放浪集団に忠誠心を感じていた。
規模の大きい政治機構が出来るようになったのは、富の蓄えによって土地と権力の蓄えも可能になった農業革命後のことである。
ほとんどの時代、ほとんどの場所で、個人の忠誠の対象は、
国家ではなく、
近親者、村、部族、宗教団体だったのである。
現在の国民国家は、つい先ほど生まれたような国家や非常に若い国家を含めて、その歴史はさまざまである。
最も新しい国家を、約30年ほど前に、ソ連とユーゴスラビア崩壊後の混乱が収まった後に生まれた国々だとしても、
アフリカ大陸の大部分の国々が生まれたのが約50~60年前、
インドとパキスタンは約70年前、アイルランドの歴史も約100年で、ドイツとイタリアは建国から約150年である。
イギリス、フランス、スペインはかろうじて約500年の歴史である。
最も古いである中国ですら、その歴史の中では、度々分断され、敵対していた。
また、新たな「国家」の多くは、植民地独立後に植民地の行政官が自分の都合で人工的な国境線を引き、ぎこちない形に作られたものだが、その妥当性は曖昧で、国家の安定性は、未知数であることが多い。
さらに、「国家」の境目では、日常的に多くの異なる部族や宗教団体が、一緒にいたくもないのに、ひとまとめにされる一方で、
まとまるべき人々が、人工的な境界で分断されていたのである。
「イラク」、「シリア」、「アフガニスタン」、「スリランカ」という概念は、
その土地に暮らす人々ではなく、
実情にうとい政治家にとって大きな意味を持っているのである。
今、世界を巻き込みながら、愛国心という概念に揺れるアメリカという国に対する、
アメリカ人の強い愛国心の歴史は、国そのものの歴史の半分ほどの長さである。
彼ら/彼女らの愛国心は、国を滅ぼしかけるほど苛酷だった南北戦争の「予期せぬ」結果生まれたものであるといっても過言ではないであろう。
アメリカがひとつの国になったのは、国が分裂する危機となった南部11州の連邦脱退の85年前のことである。
歴史、人口構成、経済システム、商取引の相手、法律、慣習が大きく異なる13のイギリス植民地が合体してアメリカはつくられた。
それぞれの植民地は、言語を除けば、共通点があまり無かったが、共通の敵と戦う中で、同じ目標を見出した。
イギリス国王や議会による専制的状況から自由になるために長く厳しい戦いを続けてきたあとで、新たな各州の政府が、強い中央集権的政府の樹立を恐れたのは、当然のことであった。
そのため、アメリカ独立戦争後、初めての契約となった連合規約は、かつての各植民地の自治を最大限に維持し、それぞれのつながりをできる限り緩くするように慎重に起草された。
こうして出来たアメリカ合衆国は、当初名目だけで合衆した統治不能ともいっても過言ではない国であった。
もっと完璧な合衆国を求める『The Federalist papers(ザ・フェデラリスト)』に触発されて、合衆国憲法制定会議が立ち上がり、国づくりに向けた動きがさらに進んだ。
しかし、合衆国はまだ完璧には遠いものであった。
州政府は、大統領、連邦議会、連邦裁判所に縛られない、かなりの自由を引き続き、維持しており、市民の大多数は、合衆国という抽象的な概念よりも、州政府や地方政府に最大の忠誠心を抱いていた。
州の権利と連邦政府による支配との間に明確な線引きがなかったことが、南北戦争を避けられないものにした。
南北戦争という厳しい試練の中で、ようやく、本当の意味で、国がまとまった。
南北戦争前には、
「合衆国」は「these United States」と表現され、
「these United States are」とほぼ常に複数扱いであった。
しかし、南北戦争後、少しずつ
「the United States is 」
と単数形表記になっていった。
このように人々の意識も、州から国へと少しずつ移っていった。
アメリカ人に広く波及した愛国心は、アメリカ・スペイン戦争や第一次世界大戦によって、強固になっていった。
共通の敵を持つことが、アメリカ国民を結束させたのである。
ナチスの時代を経験したあと、アルベルト・アインシュタインは、
「ナショナリズムは子どもの病気である......それは、人類のはしかである」
と言った。
強い国家主義思想を持つことは、今の時代、ますます時代遅れで望まない結果を生む。
特に、自国を愛することが、他国への憎しみや恐れに繋がる場合はそうである。
地球規模の問題には、地球規模の解決策が必要なのである。
地球という船を巡って争っているうちに、皆で沈んでしまうなど、実に愚かしいではないか。
確かに、前世紀には、国際協力の壮大な試みとして3つの組織が発足した。
しかし、国際連盟は、無残に失敗し、国際連合も失敗の道を辿りつつある。
この2つよりずっと前途有望と思われたヨーロッパ連合も、あまりの拡大で今や崩壊の危機にある。
しかし、私は、穿った考えかもしれないが、私たちは、歴史を見るかぎり、もしかしたら、今置かれているこの世界の状況に対する恐怖心によって、もっと緊密な国際協力を実現できるかもしれない、と思う。
地域間の相違が融解し、予期せぬ協調が生まれるのは、今のようなさまざまな利害が、差し迫る外からの脅威に直面するときだ、とも私は、思うのである。
確かに、世界が協調出来ると楽観的には考えづらいことは明白である。
しかし、私たちにはすでに、政治、貿易、銀行、健康、移住、仲裁、国際法において、国際協力が成果をあげた数多くの事例がある。
さらに、インターネットはこれまで不可能だった緊密なコミュニケーションによって、私たちの世界を結びつけている。
英語は世界共通語となった。
人々はどこでも同じ音楽を聴き、同じドラマを見て、同じ洋服を身につけ、同じスマートフォンを使っている。
私たちが、ひとたび偏った考え方を克服できれば、国際協力も思い描きやすくなるのかもしれない。
世界は、いいようにも、変容しているところもあるはずで、それをうまく使えたらいいな、と私は、思うのである。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
最近、自分の病から決断出来た、「大学院は思い切って美大に行」ったことについて、良かったかもしれないなあ、と思うようになりました。
さまざまな考え方に柔軟に触れようとする基礎になった?「気」もしているからです。
人生ぼろぼろだ、と、嘆いていましたが、人生いろいろですね。
島倉千代子さん、中山大三郎さん、浜口庫之介さんはえらい!!と思いました( ^_^)
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。