三島由紀夫の自決から15年後の1985年、フランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカスのプロデュースのもと、
ポール・シュレーダーを監督として、映画『MISHIMA』が制作された。
三島由紀夫自身が、自決の直前東武において(盾の会の軍服は西武では??とも思うが)自らの人生を回顧する展覧会を開いた折、
「書物の河」、「舞台の河」、「肉体の河」、「行動の河」
と、
人生の局面を4つに分けたことに倣って、
『金閣寺』、『鏡子の家』、『奔馬』、『太陽と鉄』の
4作品を劇中劇として三島の心象風景を描いている。
映画『MISHIMA』の音楽作曲に選ばれたのが、新進気鋭の現代作曲家、フィリップ・グラスだったのである。
グラスはミニマリズムという作曲技法を代表する現代作曲家の1人である。
ミニマリズムとは、徹底的に音楽を根源まで遡り、リズムと和音という最小単位まで分解しようという先鋭的な運動であった。
どれほど先鋭的であったかというと、
グラスのデビュー作である
『渚のアインシュタイン』では、
「One,Two,Three,Four......」
という無意味な歌詞が分散和音で歌われ、しかもそれが4時間繰り返されるので、聴衆はひたすら苦痛に耐えるしかないのである。
だが、この「繰り返し」を特徴とするミニマリズムという技法は、三島らしく、有異転変し、
同じ過ち、
同じ苦しみ、
を繰り返す人間の世界に対する透徹した仏教的感覚を表現するのに最も適していたのである。
三島由紀夫の自決は世界にも衝撃を与えた。
富士山のように大きな山は、麓からはその威容は計り知れない。
だからこそ、少し距離をおいて眺める必要がある。
富士山の麓には深い樹海があり、そこに入れば、必ず、迷う。
三島は自らの死をあのように演出することによって、
日本人の喉元に解きがたい難題という刃を突きつけた。
しかし、日本という国を外から見たとき、三島由紀夫という富士山は、簡明、かつ規矩正しい稜線を持った姿にみえるようである。
それは、戦後という絶対的価値の喪失の中で生きざるを得なかった日本人の、仏教的虚無感に至るまで絶望しきった姿かもしれない。
そして、三島自身、結句、自分の想いは外国人にしか、解らないと思っていたのかもしれない。
不在の死に耐えなければならない苦痛を描いた短編小説『真夏の死』では、主人公の女性はアメリカ人と対話することで、
はじめて、率直に自らの想いを語るのだから。
ところで、
グラスはシュレーダー監督から
「私が考える三島を描きたい。
三島への共感など必要ない。
ひとつの孤独な魂が、孤独という苦しみからの解放を国家に求めて、そこに絶望しきって死んでゆく魂を描きたい」
と言われた。
小説作品のBGMには絢爛豪華なオーケストラを用い、
三島の現実生活、すなわち、名声が高まれば、高まる、高まる空虚感を表すために、簡素な弦楽四重奏を用いた。
その弦楽四重奏をクロノス・カルテットの委嘱によりまとめたのが、
『MISHIMA』
である。
音楽はひたすら内省的で、三島が死に惹かれゆく様子を静かに美しく、悲劇的に描き出す。
グラスは、自らはこう語っている。
「世俗的成功の絶頂に、そうでないと現実を否定する精神、そのような美しい生き方そのものを描きたいと思った」と。
三島自身、このように、日本人以外が、自らの死を熱心に、芸術的に解釈することを、考えたであろうか。