チャールズ・ダーウィンは、
自分が唱える新たな進化心理学が、どれほど人間のプライドを傷つけるものかを十二分にわかっていた。
彼は、最終的に発表するまで、35年もの間、自分の発見を引き出しのなかにしまい続けたのである。
ダーウィンによる人間心理の理解における最も重要な前進は、
人間の精神生活の大部分が、理性や意志でコントロールされず、自動的かつ無意識に営まれていると気づいたことである。
ダーウィンは「人間の心」と「霊長類の歴史」を結びつけることによって、これまで説明されていなかった(できなかった)空白の多くを埋めることが出来たのである。
ダーウィンの
「人間も動物も、快楽や苦痛、幸福や不幸を感じる能力に、根本的な違いはない」
という近代心理学の始まりを告げるようなことばを思い出すたび、私は、現在の世界のなかで私たち人間が多くの誤った判断を下すのは、5000万年の哺乳類の進化の過程で私たちの祖先が直面した状況に脳が適応するようになっているからなのかもしれないと、思うのである。
「快感を最大限に、痛みを最小限にする」ということは、最も基本的で古くから存在するあらゆる行動の動機である。
数十億年前に初めて誕生した生細胞には、感触の良いものに近づき、感触の悪いものは避けるという識別能力があった。
蠕虫やハエなど、数億年前に初めて神経系を進化させた動物と人間がまったく同じ神経伝達物質(ドーパミン)を活用していることは、進化の連続性と保守性をきわめてはっきりと裏付けている。
ところで、人間は、快感の誘惑に何とか負けないようにし、苦痛がもたらす不快感に耐え、各人がどれだけのことを期待できるかについて、現実的な観点を持つことが、よい決断を下すには必要だ、と知っていた。
ほぼすべての哲学者と心理学者は、快感と苦痛、さらにそれらと日常の現実との関係に向き合わなければならなかった。
古代ギリシャやローマのエピクロス学派の人々は、ニュートンやアインシュタインが登場する約2000年前に実在した注目すべき科学者であり、現実に対する最も反直感的な原理をいくつか考え出している。
エピキュロス学派の理解に拠れば、単一のそれ以上分割出来ない原子が、万物を構成する基本的要素であるし、
エピクロス学派の哲学はあくまで唯物論的である。
つまり、神も迷信もユートピア的幻想もなく、私たちにあるのは、一度きりの人生と、一度きりの人生を快感を追求し苦痛を最小限に抑えることによって、精一杯生きることであり、それが可能になるのは、私たちが幻想に惑わされることなく、真正面から現実と向き合う場合だけだと、いうことである。
また、紀元前3世紀という同時期にエピクロス主義とストア主義は発展したことから、相対する哲学となった。
一方は快感を生み出すことを重視し、他法は苦痛をなんとか耐えることに重点を置く。
しかし、どちらの哲学も、世界を唯物論的に見るところや、世界での最善の振る舞い方に関する考えはよく似ていた。
唯物論に基づいた倫理学に次に大きく貢献したのは、約2世紀前に登場した、ジェレミー・ベンサムだった。
啓蒙運動に繋がる古代学問の復活に感化されたベンサムは、個人の道徳的判断と社会的決断に関する実用的な指針として、功利主義に則った計算法を編み出した。
ベンサムは
「自然は人間を、苦痛と快楽という2人の王の支配の下に置いた」 と言い、さらに
「その玉座には一方には正・不正の基準が結わえられ、もう一方には原因と結果の鎖が結わえられている」と言った。
ベンサムによれば、快感と苦痛は、その強度、持続期間、予測可能性、直接性、危険性、他者にも広がる一般性に従って、可能な限り正確に計測することができるのである。
さらに、これらの数値を個人ごとに合計し、さらにそれを合計して、社会全体の数値とすることが出来るのである。
公共政策の良し悪しは、抽象的な原則ではなく、むしろ政策がもたらす実際の結果に即して判断される。
つまり、最大多数に対して最大の善を、現在も将来にももたらしているか、という観点で考えるのである。
功利主義は、欠点はあるが、必要不可欠なものである。
その欠点は、価値判断から離れて功利を計測することは出来ないという点である。
生存する上で、最も本質的な価値は何か、その達成度合いを計測する方々は何か、未来の長きにわたって人類の快感を守り、苦痛を最小限に抑える責任を考慮しつつ世界の快感を増やし、未来の苦痛を減らす政策は、果たしてどのようなものなのであろうか。
こうした課題に対して、私たち人類が協力して解決策を見いだせるかどうかが、まだ答えの出ていない、最も重大な疑問である。
神経病理学と進化論に対する確かな知見を持ち、ダーウィンの影響を受けていたジークムント・フロイトは、人間の精神が、動物の祖先の脳を基本とし、段階的に層をなす人間脳の構造を反映しているものだと、直感した。
無意識の脳の働きのほとんどは、原始的な本能を満たすように機能し、即座の満足を獲ようとする「快感原則」に従う。
これに対して、意識的な脳の働きは「現実原則」に従う。
これは、外界の要請や機会に対して、満足を遅らせ、合理的な理由付けを行い、適切に対応する能力である。
フロイトは、
「こうして教育された自我は『理性的』になり、もはや自らを快感原則に支配させることなく現実原則に従う。
実は、現実原則も快感を獲ることを求めてはいるが、快感は現実を考慮した上で確保され、延期されることもあれば、軽減されることもある」と述べている。
乳児は純粋に快感だけに従って生きている。
その精神は、健全な現実検討の経験とともに快感原則を抑える能力が向上するにしたがって成熟する。
フロイトは、のちのダニエル・カーネマンによるシステムⅠとシステムⅡという思考モード区分に先駆けて、こうした区別をしていたのである。
現実に誠実に向き合わず、社会が抱き続ける幻想は、快感原則の具現化であるのかもしれない。
フロイトは、セラピーの目標について、
「イド(本能的欲動)あるところに自我をあらしめよ」と述べた。
同様に、私たちの社会の目標は、合理的な長期計画を適用し、現実世界の問題に対処することであって、短期の放縦な快感を助長する否認や願望的思考に従うことであってはならない。
私たちは、社会として成長し、私たちの未来の難題に対して、現実原則を適用する必要がある、と、私は、思うのである。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
昨夜から、東京は雪です⛄❄
慣れていない凍結した路面に注意したいです^_^;
寒い日が続きますが、皆さまも体調にお気をつけてお過ごしくださいね( ^_^)
今日も頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
人間もいいところを残しながら、
しっかりと
対応していく必要がありますね😊
香川県は
とても気持ちいい天気🌞
お互いステキな一日に
なりますように☆★☆
テル
おはようございます。
読んで下さりありがとうございます!
コメントもありがとうございます( ^_^)
将来世代にいい未来を残せる世代になりたいですね(*^^*)