おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

人間は利他的な協力が出来るのか、という遺伝子的な問いから-私たちが直面していることについて考える⑧-

2024-02-05 06:37:52 | 日記
私たち人間は遺伝子によって、

多少の差はあれど、
フランク・シナトラの歌に在るように

「自分らしくしなければ(I gotta be me)」

という感覚を持つように仕向けられているようである。

しかし、歴史的理由や地理的理由から、そうした感情の強さは文化によっても大きく異なる。

例えば、遺伝的に同質な部分が多く、世界的に見ると比較的混み合った環境の暮らしの中で、圧迫感を早くから経験してきた日本、韓国、中国のような社会では、個人主義よりも、孔子が唱えたような協力を重んじる合意形成のスタイルが発達した。

他方で、世界的に見ると、地理的にも遺伝的にも異質な要素を抱えるヨーロッパでは、個人主義が強くなる傾向にあり、そうした傾向が最大限に現れているのが、遺伝子的に異種が混じり合うアメリカである。

ところで、
集団のアリには、互いに協力したいという、持って生まれた欲求がある。

それは、差し迫っていて、かつ、抗うことの出来ない完全なる欲求である。

それぞれのアリは同じコロニー(集団)にいる他のアリと遺伝的にきわめて近い関係にあるため、DNAにプログラムされた複雑な行動アルゴリズムによって、
「皆は1匹のために、1匹は皆のために」
というアリ内のスタイルが徹底され、コロニー内のすべてのアリに対して、生まれてから死ぬまで逐一取るべき行動が伝えられる。

確かに、アリのコロニーの中では、内戦もなければ、クーデターもなく、喧嘩も、わがままな言動も、協定違反もない。

ひとつのコロニーに属するアリの集団は「超個体」として機能している。

孤立したアリは単体としては生きられず、他のアリとの協力はすべてであり、コロニー内の争いなど考えられないのだ。

異なるコロニーに属するアリ同士は死ぬまで激しく戦うが、それぞれのコロニーはひとつの生命体のように振る舞う。

人体の臓器が単体では機能しないように、アリのコロニーもアリ単体では機能しない。

さて、人間同士の内臓同士が完璧な形で協力し合うことには期待できても、異なる人間同士が完全に協力し合うことは、
たとえ彼ら/彼女らが近い関係にあったとしても、期待はできない。

自然選択によって、人間の設計仕様はアリとは大きく異なるものになった。

これは幸いなことであるはずなのだが、今では悪いことである場合が多い。

なぜなら、共通の利益のために尽くすことが、アリの場合ほど人間の性質には組み込まれていないからだ。

哀しいことだが、人間はせめぎ合い競い合う生き物で、協力と共有の能力は、ほんの限られたものでしかないのである。

アリがこれほど生まれながらに社交的で、私利私欲のない生き物に進化したのは、コロニー内でのアリ同士はきわめて近い類縁関係にあるからだ。

アリに比べて、人間はたとえ親類であっても、共有する遺伝子はアリに比べるとはるかに少ない。

さらに、人間は、利他的行為に対する能力はいくらか持ち合わせているが、人間は、元々は、自分本位で個人主義的であり、みな自分が一番大切である。

なぜなら、お人よしは飢え死にしてしまうという恐怖を持つように遺伝子的にプログラムされているからである。

血縁など近い間柄の利他的行為は存在するがその強さも、それが及ぶ範囲も、非常に限られている。

崇高な意図であっても、自分本位の関心事や、言い争い、公平・正義・善についての考え方の相違によって駄目になることも多い。

だからこそ、例えば、かつてユートピア的村落を目指したイスラエルの農業共同体である「キブツ」のように、人間がアリのような共同体スタイルで生活する試みは、最終的に躓き失敗してしまうのである。

しかし、私はアリに対して、共に働くその器用な才に感心はするものの、もし私たちが共通の利益に向かってアリのように、自動機械のように動き、集団の中に埋没してしまうことを考えると、恐ろしいと思うのである。

冒頭に述べたように、人間は良い意味で、遺伝子によって、少なくともある程度は、
フランク・シナトラの歌のように
「I gotta be me(自分らしくしなければ)」
と感じるように仕向けられているのかもしれない。

しかし、今や、世界は縮小し、アリのコロニーとまではいかないにせよ、混み合い互いに依存するようになったため、
私たちが必要とするものも、変化した。

徹底した個人主義がもたらす最悪の影響を克服できなければ、
人間は、成功を収めた種として生き残ることは困難になっているのである。

ここまでみてきたように、アリのように常にそろって協力することを人間に期待することは出来ないが、
アリの協力の様子から学び、
学んだことを現在の状況に活かしてゆけば、私たち人類に活路は開けるかもしれない。

世界の歴史のなかで、世界規模の協力がこれほど欠かせないものとなったことはなく、また、協力がこれほど容易になったこともこれまでなかった。

協力が必須となったのは、人類の生存に対するあらゆる脅威が世界規模で生じ、
そのすべてに対して世界規模の対策が間違いなく必要とされるからである。

今の世界において、私たちはとても混み合った同じ「地球」という船に乗っているため、自分の周囲だけを守り、それ以外の人々を酷い状態に追いやることは出来なくて、
共に、泳ぐか、沈むか、船をちゃんと維持するか、しかないのである。

幸いなことに、今のところ、例えばIMF(国際通貨基金)やWHO(世界保健機関)、世界銀行や、数多くのNGO(非政府組織)などは、概ね順調に機能している。

また、企業の世界はもはや国境で分断されておらず、国境を越えて最大限に協力し合うとき、ビジネスは最善の形で機能するようである。

そして、ヨーロッパは世界で最も犠牲者を多く出した戦場から、世界最大規模の統合された市場に生まれ変わった。

確かに、人々が世界規模で協力する必要がかつてないほど高まり、また明白になっているにもかかわらず、これまでに達成されたことの少なさには落胆することもある。

国連は到底、国際「連合」とは言えないし、
ヨーロッパ連合は、移民やテロ、通貨危機、そしてウクライナの戦争やロシアの脅威に対応出来る連合には、まだ遠かった。

WHOは、感染症と戦うにあたっての組織づくりが十分だとはいえなかったし、IMFと世界銀行は多く厳しい批判にもさらされた。

しかし、そのような圧力が加わることで制度は強化されることも、分解してしまうこともあるが、私は、前者を期待している。

私たちの「問題」とは、
人口爆発や環境破壊、資源の枯渇、紛争や分断という「事実」に早く気づき、
協力の規模を拡大して、修正できないほど酷くなる前に、現状を持続可能なバランスに出来るかどうか
である、と、私は、思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日はなんと、午後から雪が降るそうです(・_・;)

うーん。だからこんなに描くときにスマホで字を打つ手がかじかむのかなあ、と思いました^_^;

窓を見るとやはり曇り空なのか、明るくなるはずの時間にまだ外が暗いです。

皆さまも寒暖差にお気をつけて下さいね。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (marusan_slate)
2024-02-05 10:50:57
おはようございます☀️
みんなが欲を出さすに
助け合う世界になりますように。
今週も宜しくお願いします😊
ステキな一日を☆★☆
テル
返信する
Unknown (yoko-2-1)
2024-02-05 11:28:45
テルさん
こんにちは。
読んで下さりありがとうございます( ^_^)
コメントもありがとうございます。
テルさんのブログはいつも温かでどれも好きで、最近は特に恵方巻きのブログが1番私は元気をもらえました(*^^*)
いつも素敵なブログをありがとうございます!
返信する