偽ポピュリズムは、
政権を取る前はどんなことでも約束するが、
そのあとは搾取すること以外何ももたらさない
デマゴーグによる民衆の誘導である。
「民衆の指導者」を表す古代ギリシア語に由来する「デマゴーグ」は、
良くない指導者たちがもたらしたつらい経験を、その時々の人々が積み重ねることによって、
歴史のなかで、本来の意味から逸れて、
デマゴーグ≒感情、雄弁(詭弁?)、守れない約束を用いて、(ときに騒ぐだけ騒ぎ)自分勝手な目的のために人々を食いものにする者たち
となった。
(→ただし、2400年前のアテネにもデマゴーグは存在した。クレオンに対するアリストテレスの記述が良い例である。)
歴史的にみると、ポピュリズムは独裁者が使う方便であり、民主主義の敗北である。
アテネは僭主になりそうな者から市民と民主主義を守るために、
陶片追放という巧妙な制度を設ける必要があった。
しかし、それにより市民は、力を持ちすぎる恐れのある者を誰でも、ある程度社会的不名誉を与えない形で、10年は追放することが出来た、
そして、その制度を免れる者はいなかった。
危機に満ちたペルシア戦争の間、
ギリシア連合軍の救世主となったテミストクレスは、
極めて賢明で、1番の成功を収めた指導者であったにもかかわらず、
戦争に勝った直後、
民主主義に脅威を与える者として追放されたのである。
民主主義は脆く、簡単に崩壊するものであることを、アテネは解っていた。
だからこそ、市民は、
権力者たちからも、
彼/彼女らに追随しようとする自らの本能からも
守られなければならないことをも、知っていた。
アリストテレスは
「民主主義国家における革命は、概してデマゴーグによる節度ない言動に拠って起きる」
と述べている。
デマゴーグの言葉やデマゴーグ以降の部分は意訳にすぎるかもしれないが、
アリストテレスのことばは、
今でも、過去から響くように聞こえてくる教訓として、耳朶を打つようである。
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