それはトイレだ。
私にはやっかいな神経症がある。自由にトイレへ
行けない状況になると、さっき行ったばかりであっても
すぐまた尿意に襲われる。劇場、高速道路、どこにも
公衆トイレがない町中、(自分が)講演する時などなど。
これは閉所恐怖症の一種らしい。
かてて加えて疲労やストレスですぐ膀胱炎になる。
動けない体で入院となると、持病の神経症+疲労、
ストレスのダブルパンチ。
全身麻酔で意識がない状態の時は別として、術後、
カテーテルを入れられている時も、なぜか強い尿意に悩まされた。
カテーテルは一日で外され、トイレのある個室に入ったのだが、
私にできる「移動」はベッドと車椅子の間だけ。トイレに
行きたい時は必ずナースコールをして、看護師さんなり
介護士さんなりを呼ばなければならない。
誰かに見守られながら自分で車椅子を動かし、トイレに入る。
そこまでで相手は出て行ってくれるのだが、トイレから出る時は
再びナースコール。また見守られながら、便器から車椅子に移る。
もちろん、転んだりして再び足を傷めないように、という
ありがたい配慮なのだが、前記の理由で、大げさではなく
5分と立たないうちに尿意が来る。
必死に15分我慢してナースコールする。
夜中は「夜中なのに人を呼びつけるなんて」という
罪悪感みたいなもので、よけいにそれが激しくなる。
体よりも精神がまいってしまった。
何度もお願いしてやっと膀胱炎の薬を出してもらったが
まったく効かない。私の場合、肉体よりも虚弱な神経の方が
強く作用していたのだろう。
先日、週刊誌を読んでいたら、角川歴彦氏のインタビューが出ていた。
角川ホールディングスを率いていた方だが、東京オリンピック・パラリンピック
に関連する贈賄容疑で逮捕された。
その事件も角川氏も、私とはなんの繋がりもないのだが、
インタビュー記事の中でひどく共感した部分があった。
226日にも及ぶ拘留期間中、看守や廊下を通る人から
部屋のトイレが丸見えだったそうだ。
排泄中の姿を見られることは、氏にとって何よりの屈辱だったという。
私はもちろん、氏のような社会的立場が大きな人間ではない。
排泄するところを直接、見られるわけでもない。
けれどもトイレに行きたくなるたびに人を呼び出し、許可を
とらなければならないのは、なにか人間としての最低の
尊厳を剝ぎ取られたようで、屈辱も苦痛も耐えがたかった。
狭い室内なのだから、どうか独りで行かせてほしいと、何度も懇願した。
そのたびに「なにかあったら私たちの責任になりますから」
と、はねつけられた。それは病院として当然のことであり、
私の方が悪い。それがわかっていてもたまらなくて、
何度か勝手に行った。当然、ばれた。
「規則を守っていただかないと病院として責任を持てません!」
と厳しく叱られた。相手の言うことは正しいし、「女王様に
なったつもりで呼びつけて下さい」という励ましの言葉さえ言って
くれたのだが、そんなふうに割り切れない自分がまた情けなくて
心身ともに悪い方へと落ち込むばかりだった。
そんなある日、一人の女性スタッフが、介助しながらそっと囁いた。
「山崎さんの気持ち、とてもよくわかりますよ。トイレのたびに
人を呼ぶのが嫌でたまらない、という患者さん、多いですから。
じつはね、私もよく膀胱炎になるんです。それも仕事が忙しい時に限って。
そういう時の、どうにもならない辛さって、なかなか他人には
わかってもらえないですよね」
不覚にも、私は泣き出してしまった。涙が止まらないまま、
「ありがとうございます」と何度も何度も繰り返していた。
人の気持ちに寄り添うことは、なかなか難しい。
「頑張りなさい!」という励ましの言葉が、逆に相手を追いつめる
こともある。それよりもただただ頷き「うん、辛いよね。ほんとに
辛いよね」と共感してくれる方がずっとありがたく、嬉しかったり
することも多いのだ。
長いことかかったが、独りでトイレに行く許可が出た時は
ほんとうに気持ちが軽くなった。その分、頑張ってリハビリに
励もうという気力も出てきた。
無事、退院し、自力で歩くのはまだ家の中だけ、という
状況ではあるが、S村の自然に癒されながら、うしろを
振り返る余裕も少しずつ出てきたような気がする。
ヒョウモンチョウ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/59/9360727574c86acc936f3aeae113b5bc.jpg)
ブットレアの花にはハナムグリ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/d3/ba4f72af3a91f1ffa151ed96826b2636.jpg)
オタマジャクシから大人になったばかりの
小さなアマガエル。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/b1/e292b05bc8762e830cc904260711acc6.jpg)