今度は山形の銀山温泉へ一泊二日の旅。
まあこれも以前から入っていた予定。
めったに会えない友達が誘ってくれたので。
山形新幹線の大石田から、宿の送迎バスに乗って40分。
さほど大きな温泉街ではないが、大正期に創建された宿
(建てられた当時は最先端のモダン建築)が川を挟んで並び、
とても風情がある。
すでに紅葉は終わっていた。冬に入ったら交通は不便だろうが
素晴らしい雪景色が出現するだろう。
立派な名前のついた宿も。私が泊まったのは「永澤平八」。
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銀山は1689年に閉山されたという。
そこで働いていた抗夫の一人が温泉を発見し、それからは
湯治場として知られるようになった。
しかし1913年の大洪水で壊滅。その後、いまのように
三階建て四階建ての宿が建てられて温泉街となったそうだ。
流れの速い渓流。
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カジカ橋を渡って山へ。温泉の成分のせいか、川底の
石は赤錆色に染まっている。
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坑道の入り口
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坑道の中。岩壁を焼いてから削る工法だったそうだ。
壁には生々しい煤痕が広がっていた。
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おびただしい数の抗夫が、この幻想的なまでに美しい山で
過酷な労働をしていたはずだ。故郷を、愛する人を思うことで
彼らはその日々に耐えたのだろう。
雪の吹きすさぶ冬、故郷に帰り損ねた若い抗夫が山をさまよい
雪女と恋をする……。
大きな朴葉を踏みながら静かな山道を歩いていると、
そんな幻想が浮かんできた。
翌日は銀山温泉を出て、この方の「閑かさや 巌にしみ入る 蝉の声」
という句で有名な立石寺へ。
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知らなかったが、こんな断崖絶壁の山を上まで上がって
初めて御利益が得られるという。
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石段をせっせと上がっていくと、途中の何カ所かにお堂が。
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腰痛持ちの上に体力がない私は、途中でリタイア。
奪衣婆にせせら笑われながら下山。
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帰宅した日はもちろんのこと、翌日もやっぱり寝込んだ。
冬銀河 旅は心に 思ふもの(冬果)