冬桃ブログ

チェンマイ・チェンライの旅その1・成田は遠い!

 旅行へ行くとなると、私は遠足の小学生みたいに早々と荷物を用意する。
 今回も十日くらい前に大きめのキャリーバッグを出し、毎日少しずつ、
思いついたものを入れていた。この段階はなかなか楽しい。
 途中で、向こうの人に持って行くお土産が発生し、キャリーバッグをさら
に大きなトランクに替えた。
 トランクの鍵、車輪も、作動するかどうか確かめた。
 準備万端である。
 
 飛行機は25日の午前十時台と早い。成田に前泊すべく、家を出たのは24日。
 が、外の通りへ出たとたんトラブルが発生した。石畳の上をトランクがスム
ーズに進んでくれない。
 うちの床とマンションの廊下で試した時は大丈夫だったのに。
 
 トランクはこれしかないからもう詰め替えはできない。一応、車輪は動くの
だから問題は石畳だと自分に言い聞かせ、一生懸命引っ張ったり押したりしな
がら歩き出した。
 何度もつっかえ、トランクに足を踏まれながら、ようやく地下鉄の駅に到着。
 徒歩5分足らずの距離なのに、息が上がり、頭はしびれ、喉はからからになっていた。

 横浜駅で降り、YCATからバスで行くつもりだったのだが、こうなったからには
少しでも近い成田エクスプレスにしようと考えた。
 ところが横浜駅で、なぜかいつもと違う改札から出てしまった。
 
 私は病的な方向音痴だ。横浜駅は年中利用しているのに、改札が違うだけで、
もう、遭難状態。成田エキスプレスのチケットを買わなければならないのに、
緑の窓口はおろか、JRの改札すらどこにあるのかわからない。
 
 おまけにトランクは石畳以外の場所でも素直に進んでくれなかった。
 汗だくになりながら、押したり引いたりしてとにかく前へ進み、「JRの改札は
どこでしょう」「緑の窓口は?」と、お上りさんよろしく何人もの人に訊いた。
「あっちの方じゃないですか」
 と、指さされた「あっちの方」は妙にがらんとしている。私はいったい、どこに
出てしまったのだろう。

 エレベーターやエスカレーターに乗り、そのどちらもない場所では、重すぎる
トランクを引っ張って階段を上った。
 おばさんが死にそうな顔でトランクと格闘しているのに、誰も手を差し伸べては
くれない。
 日本の男は最低だ。てめえら、みんな死ね! と心の中で毒づきながら、30分
くらいもかかってようやく緑の窓口に辿り着いた。

 チケットを買い、成田エクスプレスに乗った時は、このまま心筋梗塞かなにかで
倒れるかもしれないと本気で思った。買っておいた週刊誌を開く元気もない。
 
 成田に着くと、案内板でカバン屋を探して直行した。
 思わぬ出費だが、この先の旅程を考えるとトランクを買い換えるしかない。
 通路で二つのトランクを開き、中身を詰め替えた。こういうことはよくあるのか、
カバン屋はあたりまえのように古いトランクをただで引き取ってくれた。

 夕方だったしともかく休みたかったので、ここで夕食をとっていくことにした。
 飛行機が落ちてこれっきりということもありうるから、大好きな寿司を食べよう。
 そう思って見回すとすぐそばに寿司屋があった。特上の握りを奮発。3990円。
 それと熱燗を一本。
 
 が、いざそれを食べようとすると右手に力が入らない。トランクと格闘したせいだ。
 左手で右手を支えながら箸を持ち、寿司をつまもうとするのだが、うまくいかなくて
何度か醤油の中に落とした。
 震える手で熱燗の盃を口に運ぶ女を、人はどう見たことか。

 腹の立つことに、この特上寿司がまずかった。なんとしても生きて帰り、もう一度
おいしい寿司を食べるのだと心に誓う。

 家を早く出たので、成田のホテルにチェックインしてもまだ夕方の六時だった。
 体も頭も泥が詰まったように重い。テレビではフィギアスケートをやっていたが、
それすら観る気になれず、ぼんやりとベッドに寝転んで時を無為に過ごした。

 翌朝、右腕を見たら二の腕に大小の青あざが広がっていた。打ったわけでも
ないのに、無理な力を使ったせいで小さな血管が幾つか切れたのだろうか。
 腕の下半分は相変わらず力が入らず、左手でトランクを転がして空港へ向かった。
 成田はいつも遠いが、辿り着くのにこれほど体力を消耗したのは初めてだ。
 まだ旅は始まってもいないのに、もう海外旅行なんか行きたくないと思った。
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