さて翌日はゆっくりチェンマイ見物へ……というわけにはいかない。
朝八時にホテルをチェックアウトし、大きめのバンでチェンライへ。
三時間半後、チェンライのワンカム・ホテルにチェックイン。
ここでN田さんという日本人女性とおちあう。
N田さんはチェンライに住み、日本で人身売買の犠牲になっていたタイ人女性、
さらにタイ人女性と日本人男性との間にできた子供達のサポートをしておられる。
チェンライのある北タイには性産業に就く女性が多い。その関わりで人身売買の
被害者になった人も少なくない。
貧困、女性差別、山岳民族問題、女は両親に尽くすことでタンブン(徳を積む)
になる、という独特の仏教思想などがその根底にあるようだが、国境を接するラオス、
カンボジア、ミャンマーなどに較べてタイは経済が急成長し、性産業の大きな集散地
になったという背景もからんでいるようだ。
人身売買にはタイや日本のブローカーも暗躍する。
そこからようやく逃れ、帰国して故郷へ戻っても、差別と偏見、再びの貧困、職が
ないという現実が彼女達につきまとう。
この日は、七人の帰国女性達がN田さんの声かけで集まってくれた。
年齢は四十代が多い。彼女達は全員、日本で売春の経験がある。現在の年齢から
察するに、来日は80年代、90年代だろう。
日本のどこにいたのか、という質問には茨城、、千葉、長野、和歌山、東京、京都
と広い範囲の地名が返ってきた。それは日本で最初に働いた場所である。
横浜にいたという人は一人。ただしそれは強制送還になる前、横浜にある外国人女性
のためのシェルターにしばらくいた、というものだった。
たまたまここでは他に「横浜」をあげる人はいなかったが、N田さんがあとで呟くよ
うに言った。
「各地を転々とさせられ、最後に送り込まれる場所が横浜の酷い売春地帯だったという
話も耳にしましたよ」
そうした女性達が自助グループを結成し、助け合いながら生活を建て直し、心の傷
まで癒していけるよう、N田さんは協力者達とともに長年、サポートしてきた。
彼女達は定期的なミーティングや勉強の場を持ち、経済の仕組や法律の基礎、職の
技能を学んできた。助成金を仕事の回転資金にあて、自分達も貯蓄に励んで配当金を
有効活用している。
養豚、養鶏、パッションフルーツの栽培、屋台の経営などで頑張っている彼女達の
お宅や農場を、何軒か訪問した。
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