冬桃ブログ

チェンマイ・チェンライの旅3 再生する女たち

26日
 さて翌日はゆっくりチェンマイ見物へ……というわけにはいかない。
 朝八時にホテルをチェックアウトし、大きめのバンでチェンライへ。

 三時間半後、チェンライのワンカム・ホテルにチェックイン。
 ここでN田さんという日本人女性とおちあう。
 N田さんはチェンライに住み、日本で人身売買の犠牲になっていたタイ人女性、
さらにタイ人女性と日本人男性との間にできた子供達のサポートをしておられる。

 チェンライのある北タイには性産業に就く女性が多い。その関わりで人身売買の
被害者になった人も少なくない。
 貧困、女性差別、山岳民族問題、女は両親に尽くすことでタンブン(徳を積む)
になる、という独特の仏教思想などがその根底にあるようだが、国境を接するラオス、
カンボジア、ミャンマーなどに較べてタイは経済が急成長し、性産業の大きな集散地
になったという背景もからんでいるようだ。

 人身売買にはタイや日本のブローカーも暗躍する。
 そこからようやく逃れ、帰国して故郷へ戻っても、差別と偏見、再びの貧困、職が
ないという現実が彼女達につきまとう。

 この日は、七人の帰国女性達がN田さんの声かけで集まってくれた。
 年齢は四十代が多い。彼女達は全員、日本で売春の経験がある。現在の年齢から
察するに、来日は80年代、90年代だろう。

 日本のどこにいたのか、という質問には茨城、、千葉、長野、和歌山、東京、京都
と広い範囲の地名が返ってきた。それは日本で最初に働いた場所である。

 横浜にいたという人は一人。ただしそれは強制送還になる前、横浜にある外国人女性
のためのシェルターにしばらくいた、というものだった。

 たまたまここでは他に「横浜」をあげる人はいなかったが、N田さんがあとで呟くよ
うに言った。
「各地を転々とさせられ、最後に送り込まれる場所が横浜の酷い売春地帯だったという
話も耳にしましたよ」

 そうした女性達が自助グループを結成し、助け合いながら生活を建て直し、心の傷
まで癒していけるよう、N田さんは協力者達とともに長年、サポートしてきた。
 
 彼女達は定期的なミーティングや勉強の場を持ち、経済の仕組や法律の基礎、職の
技能を学んできた。助成金を仕事の回転資金にあて、自分達も貯蓄に励んで配当金を
有効活用している。
 
養豚、養鶏、パッションフルーツの栽培、屋台の経営などで頑張っている彼女達の
お宅や農場を、何軒か訪問した。



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