ポル・ポト政権下で刑務所だったところ。
こうした部屋で、日々、残忍な拷問が行われた。
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カンボジアはフランスの植民地だったが、シハヌーク国王の下、1949年に独立した。
しかし後にベトナム戦争が勃発すると、その影響でカンボジアも不安定な様相を呈してくる。
1970年、親米派のロン・ノル将軍がクーデターをおこし、クメール共和国を樹立。
米軍による空爆が行われ、数十万人のカンボジア人が犠牲になった。おびただしい数の難民も発生した。
反政府活動が高まる中、台頭してきたのがポル・ポト率いる共産主義勢力「クメール・ルージュ」だ。
凄まじい内線が始まり、ポル・ポトが勝って政権を握った。
クメール・ルージュは首都プノンペンにいた人々を、病人だろうが妊婦だろうが構わず、
強制的に街から追い出した。また、カンボジア人同士で糾弾しあい、ことに知識階級を迫害、
殺害するよう仕向けた。
灼熱の中、行き先も告げられないまま強制移動させられ、倒れて亡くなった人、
拷問の末に殺された人……その数は定かにわかっていない。でも百万人は超えているという。
ペン・セタリンはその時、日本に留学していて難を逃れた。
しかし彼女の父親は国立図書館の館長、母親は教師。まぎれもない知識階級だ。
何が起きたかは想像にかたくない。
セタリンは両親ときょうだい四人を失った。残りのきょうだい三人は
タイの難民キャンプで発見され、日本に呼び寄せることができた。
このあたりのことは、ぜひ彼女自身が書いた本を読んでいただきたい。
「私は“水玉のシマウマ”─カンボジア女性の日本奮闘記」(ペン・セタリン)
セタリンの妹で日本人と結婚した久郷ポンナレットさんも本を出している。
「虹色の空」「色のない空」
セタリンは日本で文学博士になり、現在はプノンペン大学言語学部の教授である。
「クメール語入門」「日本語カンボジア語辞典」、また小説「アンコール・ワットの
青い空の下で」などの著書もある。
日本とカンボジアを行ったり来たりしながら、町田でとびきりおいしいカンボジア料理
の店もやっている。。
「アンコール・トム」http://www.angkor-thom.info/
その収益と一般からの寄付でカンボジアの教育と文化を支援するCAPSEAを創立し、
カンボジア女性の自立支援、学校へ行けない子供達のための児童館、移動図書館など
さまざまな活動を行っている。
教育はほんとうに必要だと思う。
日本には江戸時代から寺子屋というものがあり、貧しい庶民の子供でも
読み書きと簡単な計算を教わることができた。
長い鎖国をしていた日本はペリー艦隊の来航によって開港したわけだが
それによって続々と入ってきた列強国(アメリカ、イギリス、ロシア、フランスなど)は
小さな島国である日本の教育水準の高さに驚いたのではないだろうか。
日本人の識字率は、この時、世界最高水準だったのだ。
当時、大国であった中国をはじめとして、東南アジアの国々は
ことごとく列強国の植民地になり、いいようにむしられていた。
が、日本は植民地にされなかった。不平等条約を押しつけられたと
されているが、じつはさほど不平等でもない。
当時の列強国と日本の国力の差を思えば、よくこれほど平等な条件で
開国できたと感心する。
その後も日本は幾つか外国との戦争を経たが、どこの植民地にもならず、
南北に分断されることもなかった。
私見だが、やはりそれは識字率の高さも関係していると思う。
一人の人間が体験しうることはそう多くない。
けれども読み書きができれば、自分の知らない世界を知ることができる。
また、離れたところにいる人に、何かを伝えることもできる。
貧しさゆえに、子供を学校に行かせようともしない親を説得して
セタリンが必死で児童館をやっている気持がよくわかる。
これからカンボジアがどうなっていくかは、未来を担う子供達の
知的水準にかかっているのだ。
旅の最終日、セタリンの住まいでもある児童館は、庭にきれいなテントが
設営され、100人以上もの子供達が目を輝かせて待っていた。(笑顔のセタリン)
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華麗な宮廷舞踊がそこで披露された。めったに観られないものである。
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踊りが終わると、みんなで食事。
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さらに、子供達全員にカバンと服のセットが配られた。カバンの中には文房具
が入っている。
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私の名付け子姉妹が、洋服をたくさん寄付してくれた。
こんな可愛い服。
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いなほ保育園中等部の生徒も、子供達と風船遊び。
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児童館を辞したあとは、プノンペン大学日本語学科の学生達と交流。
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ぎっしり詰まったカンボジアの旅もこれで終わった。
あの子供達が、どうかほんとうに民主的なカンボジアをつくりあげてくれますように。