冬桃ブログ

チェンマイ・チェンライの旅5 T・J・C


 タイ人女性と日本人男性との間にできた子供をこう呼ぶそうだ。
 タイ、ジャパン、チャイルドを略したものだろう。

 もちろんちゃんとした恋愛や結婚で生まれ、両親や周囲の愛にはぐくまれて育つ
T・J・Cもいる。だが中には、父親としての責任をとらない男性、生活のために
母親としての勤めを充分に果たすことのできない女性、という親を持つ子供もいる。
 
 たとえば、チェンライの自助グループに属するAさんという女性のケース。
 彼女はいまから二十年ほど前、まさかこんな仕事をするとは思わず騙されて日本
へ渡ってきた。お金が必要だったという切実な事情もあっただろう。
 同じようにして連れてこられた他の女性達と一緒に一軒の家に監禁され、売春を
させられる毎日となった。
 渡航費用やタイの家族が受け取るお金が、「借金」として彼女達を縛るわけだが、
Aさんの場合、その借金は半年で返せるはずの額だった。

 ところがいろんな名目でその額は増え続け、二年たっても拘束されたまま。
 それどころか日本人のボスと彼の妻であるタイ人女性に虐待される日々だった。

 二年たった頃、Aさんは、ここから逃れるには子供を生むしかないと考えた。
 妊娠したり子供ができたりして使い物にならなくなった女が、組織から放り出さ
れたという話を聞いたからだ。

 Aさんは意図的に妊娠した。小太りな体型だったこともあって、誰にも気づかれずに
臨月を迎えた。監禁されている家で同胞の女性一人に見守られ、Aさんは出産した。
 そのまま気を失った。

 事態を知ったボスは驚きあわて、救急車を呼んだ。ともあれ、Aさんは子供を出産
したのだ。

 それから一ヶ月後、Aさんはもう客をとらされていた。解放されるどころか、ボスは
ますますAさんに辛くあたるようになった。

 同情した同胞女性達がお金を掻き集め、Aさんをここから出すよう、ボスに掛け合っ
てくれた。おかげでAさんは、子供が三ヶ月を迎えた時、この家から出された。
 彼女は領事館に駆け込み、そこから横浜のシェルターに移された。そして半月後、
タイへ強制送還された。

 Aさんはいま、N田さん達のサポートを受けながら農場を経営し、一人で子供を育て
ている。故郷へ戻ってからの冷たい視線、食べていくことのたいへんさなどに耐えかね、
酒に溺れたこともあったそうだ。
 T・J・Cの一人である彼女の子供も、詳しい事情は知らないものの、母親の影響で
暗い子供だったこともあるという。

 私達はそうした子供達の施設を訪ね、一緒に御飯を食べた。翌日は、N田さんがサポ
ートしている別のT・J・C達が彼女の家に集まってくれたので、私達四人が日本食の
昼食をこしらえて彼らにふるまった。
 天丼と具だくさんのスープ。
 天丼は「つゆの素」を使ったので、タイの子供達にとっては少し味が薄かったようだ。
 


 そのまた翌日は、T・J・Cだけではなく、親をHIVで亡くした子、無国籍の子など
が集まる家を訪問。ここではちらし寿司をこしらえた。



 現地の女性達は私達に麺をふるまってくれた。パパイヤ、インゲン、唐辛子、ニンニク、
ライムなどを鉢で突き崩しナンプラーで和えた「ソムタム」を、細い麺に載せて食べる。
 辛いけど、とてもおいしかった。



 この旅を主催した「てのひら」は、数年に渡り、こうしたツアーを実施してきた
とのこと。
 日本人として、日本で平和に暮らしてはいても、こうした現実がすぐそばにあることを
私たちは知っておくべきだろう。

 人身売買に立ちむかう「てのひら」
http://blogs.yahoo.co.jp/tenohira_is_for_children 
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