冬桃ブログ

似たくなかったのに……。

 先日、母がお世話になっている施設で、
個別カンファレンスがあった。
 施設長、副施設長、栄養士、作業療法士、
現場の介護士など、母の世話をしてくださってる
方々から、報告をいただく。

 母はもう脳の言語中枢が退化しているらしく
声は発するのだが言葉にならない。
 食事の時は車椅子に移してもらうが、
あとの時間はずっとベッド。
 自分では寝返りもままならない。
 顔をしかめ、苦しそうな顔でワーワーと
声を張り上げるのだが、何をいっているのかわからない。

 頭の中だけでなにかを考えるときも、
人は言葉を紡いでいる。
 「おなかがすいたなあ」とか「もう、夜かな」
とか、文章にして、映像を思い浮かべている。
 でも母にはその能力がもうない。
 ほんとうに、ないのだろうか。
 脳の中を覗いたら、どんな光景が見えるのだろう。
 
 先日、会食した人は「認知症になっちゃえば
周囲に迷惑をかけても自分ではわからないんだから
天国だよね」と、笑っていたが、
眉間に皺を寄せた母の顔を見ていると、
私にはとても、天国だと思えないのである。

 「だけど、お母様は体が丈夫ですよ。
毎日、三食とも完食です。食べることに対する
意欲が凄くて、食事のプレートを見ると
テーブルに身を乗り出してこられます。
 生きる意欲が強いのです」

 施設の方がおっしゃった。
 
 母はもう歯がないから全食、ペースト状だし、
スプーンで食べさせて貰っている。
 おいしいと感じているのだろうか。
 親鳥に雛が餌を求めるときのように、
差し出されるスプーンに向かって
反射的に口を突き出しているように見えたりもするのだが。
 
 「自分は体が弱いから長くは生きられない、
というのが、母の口癖だったんですけどねえ」
 と、小さな声で言いながら、私はうつむいてしまう。
 
 それ、自分のことじゃないか。
 「わたし、虚弱だから」と言って、絶対に無理をしない。
 実際、疲れやすいし足も悪いんだけど、ひたすら
自分をいたわっているせいで、大病もしない。
 それに、食事に対して非常な意欲がある。
 おいしい店を食べ歩くなどという面倒なことは
しないし、ほとんど、雑な料理をして家で食べるのだが、
一食でも逃すと損をしたような気になり
おなかがすいてなくてもちゃんと食べる。
 具合が悪くても毎日食べる。

 どんな意味でも、母に似たいと思ったことはない。
 むしろ反面教師だった。
 でも、現実はこうだ。
 私は、ぞっとするほど母に似ている。

 いまに私もこうなるのだろうか。
 思考能力がなくなっても生き続け、
ガツガツと食べ続けるのだろうか。 

 10年くらい前の写真。
 母はすでにまだらぼけだったが、
いま思えばこの頃が懐かしい。
 とんちんかんな会話でもいいから、母と話をしたい。
 弟も元気だったし……。


 
 
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