2020年11月29日日曜午後9時に、NHKで「ある、ひきこもりの死」という番組が放映されました。
日本では令和改元直前の2019年春ごろに、京都アニメーション放火事件などを含め、中高年による凶悪犯罪、もしくは家族内の事件が相次ぎました。ひきこもり者の問題は7040問題あるいは8050問題と呼ばれ、高齢の親が無職の自立できない子を経済的に支える家庭問題としてクローズアップされてきました。そう、「家庭の」問題として。
今回の番組でわかりやすかったのは以下の点です。
・中高年のひきこもり者は怠惰で働きたくなかったわけではない
海外企業で華々しく働いていたが失職し、実家に戻った女性。清掃業から事務系に中年で転職したものの、職場のパワハラで挫折した男性。公務員や教員試験にも取り組み、医療事務職に正規採用されたが、過重労働でメンタルを病んだ。等々、もともとは勤労者で、中産階級の出であった方が多かったことです。
・家族の無理解が本人を追い詰める
とくに男性に顕著なのが、仕事一徹な頑固親父とのコミュニケーション不全。秋葉原の無差別殺人事件の犯人のように教育ママの虐待母に育てられた息子が、長じて親に暴力をふるい、上下関係が逆転して手が付けられなくなってしまう。封建主義的で家父長制めいた家族関係で育った男性が、その価値観のまま社会に出て、押しの強い女性が闊歩する現代についていけなくなった…というのもありそうです。きょうだいリスクを嫌って、自立し家庭をもった身内と疎遠になってしまうこともある。ひきこもり死した兄の足跡を、疎遠になっていた弟が追う場面もありました。
・福祉制度のハザマに陥って、救いあげることが難しい
老親がホームに入所したり死亡したりで経済的に困窮する。しかし、親がいなければ介護問題ではない。本人が精神障害でもなければ障害者支援でもない。本人が生活保護を望まなければ、困窮していないと見なされて、福祉がプライバシーに介入できない。番組内では懸命に訪問を繰り返す支援員の活躍が報じられましたが、公的機関の落ち度として責任を求めるのは難しい。
・他人とのかかわりを持つ前に本人がすでに諦めている
ひきこもり当事者にとっては唯一の世間であるのは、同じ空間に暮らすはずの家族。しかし、それですら理解しあえない。職場や学校で嫌な目に遭っていて人間不信に陥り、インターネットでは自尊心を削られる文言があふれ、生きている意味がわからなくなる。助けてと言える資格が自分にないという、亡くなった人の言葉が胸に刺さります。
番組内では、こうした40代後半から60代の引きこもり者を集めて作業をさせる取組が紹介されていました。
そのなかで、50代ぐらいの男性が「キャプテン翼」の話を語り合っているのが印象的でした。40年ぐらい前の少年だったときの話題。それを共有できるひとが周囲にいないという孤独。そうそう、ヲタクがサブカル情報をアップデートできないとこうなりますよという…。
コロナ不況でいまかなりの方が職を失い、自信を損ない、生きている意味を迷い、そしてひきこもりが増えると見積もられています。
キャリアアップを図り、資格やスキルを磨いても、中途採用で入った会社は労働環境が悪く、新卒社員のようにサポートしてくれない。2008年あたりの派遣切り問題が話題になった時に日本は一度堕ちたら這い上がることのできない滑り台のような世の中だと言われましたが、まさにそうですね。
現実、プライドが邪魔をしてというよりも、親の死後、相続した家や車があるために等の理由で生活保護が受けられなかったり、経済的に余裕のある親族がいたりするので対象外にされたり。家や車があっても維持費がかさんで処分できなかっただけだったり、親族がいても没交渉だったりする。
本人自身が失職して自活できなくなれば、それは自分の死だと覚悟せざるを得ない社会は他人事ではありません。
お金や食料を届けさえすればいいのでしょうか。それだけではなくて、簡単なことでもいいので何か作業をさせて、自分が世の中に役立っているという実感を得ることが大切なのかもしれませんね。生きている意味に高いだの、低いだの、考えたってはじまらないわけでして。
番組の最後に流れた、「生きているんだけいでいいんだよ」というメッセージが印象的でした。
これは気休めなのかもしれませんが、そう思うしかないのです。
同じころ、買った某経済紙に「孤独を愛する」なんて特集があったのですが。
本当に孤独というか孤高の状態になれるのは、人脈を整理できるほど地位や財産を築いた人だけではないでしょうか。しかし、有望な若手俳優たちが自死を選ぶ現状を見るにつけ、ほんとうに孤独でいたいひとなんていないように、私には思われるのです。
(2020/11/29)
★不登校・引きこもりでも生存戦略しませんか★
学校に行きたくない、働きたくない、世の中に出たくないと思っている人に。人生は失敗したことではなく、その挫折からなにかを学んで、いかに立ち上がったかで決まります。 やや、お節介な記事の一覧です。私はこの記事を誰かに上から目線でお説教するためではなく、自身の未来のために書いています。