陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

手に余る樹の始末は今のうちに

2024-11-13 | 家庭菜園・庭仕事・田舎通い

秋といえば紅葉の季節。
各地の行楽地も鮮やかに色づきはじめる時期。ですが、いっぽうで樹の困りごとも多いようで。

11月上旬、ニュース番組で、公園の木の強度を調べ、倒木の恐れのある樹木は伐採している、と耳にしました。

神社などでは霊験あらたかな古木として崇められていたりする大樹も、左右に張った枝を支えるための柱がいくらもたてられていたりします。
虫食いの被害も多いうえ、近年は風水害の影響で地盤ももろくなっています。

現住まいでも数年前からいくつかの街路樹が消えていました。
根が浮き上がっていた樹が、いつのまにか株だけにされていました。枝が信号機を隠して見通しが悪くなるのか、幹だけを残してバッサリ刈りこまれたものもあります。

京都かどこかの観光地で、道端にあった樹が倒れて、通行人が下敷きになり、亡くなった事件もありました。
地震で道路が陥没したり、液状化現象が起きると、樹木もそうですが、電柱でさえ傾く危険があります。

私がその昔借りていたマンションも、庭に大きな松の木がありましたけども。
大家さんがある日、思い立ってか、ばっさり切り倒してしまわれました。樹齢が何十年もにわたる、かなり見事な一木だったので驚いた覚えがあります。

我が空き家もこれの例外ではなくて。
さして広くはない庭ながら、十数年前前までは荒れ放題で森のように。一部の高い樹は知人に頼んでチェンソーで伐採し、私の腕周りぐらいの太さならばのこぎりで地道に切り倒してきました。

意外に侮りがちなのが、小さな灌木。
腰ぐらいの高さまでなので油断してしまうのですが、渡り鳥が落とした糞や風で飛ばされた種や実から生えてきてしまうらしい。植えた覚えのない木があるのはそのため。セイタカアワダチソウのように、雑草だなと放置していたものがいつのまにか固くなって木のレベルになってしまったり。

生垣として槙の木などを巡らせているお宅も田舎には多いですが。
これも毎年ある程度の剪定が必要で、業者を呼ぶ費用も馬鹿になりません。節約のために私が見よう見真似で刈って、数年ごとに剪定作業をおさえてはいますが、年々負担が厳しい。春から秋半ばまでは雑草処理に追われるので、樹の世話をするのが寒い季節になります。

境界画定用に植えた木も根が張ったりして、隣の塀を壊す危険性があります。
極端に高すぎる樹は屋根や壁にもたれかかる恐れもあり、また落ち葉の量も増えるので管理に手間がかかります。もともと自分名義の家なので、私はあまり緑を増やすべきではないと主張したのですが、反対していたのは同居人でした。

ところが健康状態が悪化した同居人も折れてくれることに。
再度話し合ったすえ、かろうじて残すべき樹をさらに厳選。手に余る樹は始末していくことに。
まず枝葉を細かくカットして本体を軽くし、幹だけの裸にしたあとで根元近くに刃をいれます。電動式ではないので労力はかかりますが、左右からあるいは方角を変えて、何回か斬りこみをいれて、ハンマーで叩けば折れてくれることも。

枝や幹は解体すれば除草シートの重しにもできますし。
乾かせた枯れ葉は畑の有機肥料にもなります。落ち葉は天然のマルチにもなるので、みかんの木の根元や野菜を植えた畝に敷いて利活用。

薪ストーブなんかを購入して、キャンプよろしく、外でお湯を沸かしたりしてみたい。
…と思いつつ、焚火をしていたら近所から苦情がきそうなので夢のまた夢。北海道みたいに土地が広いところならできそうなのですが。

若い頃はこうしたお掃除は嫌いでしたが。
日光を浴びて体を動かす作業は心身の改善にもつながるので、いまは時間があれば積極的に取り組んでいます。

みかんの木も昨年はたくさん実ったものの、今年は不作。
なのに、生ごみを堆肥で埋め込んでいるせいか、成長いちじるしく、あっというまに背丈を超える高さに。今のうちに手ごろな大きさに整えないと、手に負えなくなりそうです。

樹は次の世代への贈り物といわれます。
植えた人の孫の代にならないと実らない。スギやヒノキなどの国産の木材はとくにそうですよね。しかし、後世への負担になるのならば、いま生きている自分たちが元気なうちに始末をつけておくべきだと感じたのでした。


(2024.11.08)



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