陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「君の瞳に生まれたエフェメラ」(二)

2024-10-01 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


その晩、わたしは恐ろしい夢を見た。
千歌音ちゃんがお腹を抱えてうずくまっている。板縁の床には、桜貝のペンダントが転がっていて、千歌音ちゃんはそれに必死に手を伸ばす。指先がかすかに震えていた。

その指は爪の中まで赤ぐろく染まっていた。
わたしの血ではない。自分の掌が、生温い刀を握っていることに気づくのに、わたしは数秒を要した。刃を放り投げ、放心したまま両膝を床に着いた。重力ではなくて、碇のように重い感情が身体を地へと沈めようとする。

──わたしはそこで目が醒めた。それから幾度も似たような悪夢を見た。

冷や汗がふきでて、金縛りにあったように動けないまま、起きてしまう。
あれはただの夢なんだろうか? 血が指のあいだを流れて、刀の柄の紋様をくっきりさせる生々しさまでもがはっきりと思い出せる。その生命の途切れがわたしに刀を滑らせ、放棄させたのだ。

わたしは一体、過去に千歌音ちゃんに何をしたのだろう。それを千歌音ちゃんは知っているのかな。知っていて、知らんぷりして、一緒に暮らしているのかも。わたしがこのまま傍にいたら、また彼女を傷つけるのかもしれない。そんなこと、ぜったい耐えられない。


「わたし、ひょっとしたら、ひとを死なせたことがあるかもしれないんです」

そんな自供で、110番に電話する勇気はなかった。正確に言うとダイヤル中に切ってしまったのだった。イタ電じゃないんです、警察屋さん、ごめんなさい。
確信も証拠もなかった。だって、その被害者はいま生きているのに。でも、誰かに聞いてほしかった。ひとしれずに犯したのかもしれない過ちのことを。

わたしには親がいない。だから生い立ちを教えてくれるひとが少ない。
自分の知らないうちに、なにかをしでかしたのかもしれない。失われた記憶を補うために、誰かに会うべきだった。

過去をなぞれば、何かが見えてくるかもしれない。
もし、千歌音ちゃんがそれで、わたしのことを嫌いになったとしても構わなかった。わたしが千歌音ちゃんを好きという、この気持ちだけで生きていける。再会できるまでが、ずっとそうだったのだから。

携帯電話の着信に残っていたのは、思いがけない彼からの電話番号だった。
幼馴染の――大神ソウマくん。

「いやあ、なんだか派出所で見覚えのある電話番号だな、って思ったから、内緒でプライベート出動だ。来栖川、なにか困りごとでもあったか?」

ひさびさに会った大神くんは相変わらずいい人で。
学生時代よりさらに背が伸びて、とても爽やかな青年になっていた。今では街のみんなに愛されるお巡りさん。きょうはたまたま非番だから駆けつけてくれた。勤務先の交番には親の愛に恵まれない子どもたちが逃げてくることもあって、慕われるいいお兄ちゃんらしい。そんなことを照れくさそうに話すときの、あの鼻の下をこするような癖も変わらなくて、なつかしかった。

「姫子がパトカーに乗るなんて、きっと迷子になったときぐらいさ。俺は絶対、お前のことを信じてる」
「…うん、ありがとね」

大神くんならそう言ってくれると思っていた。
わたしはずるい。きっとまた彼に甘えていたのだろう。夕暮れ時、ふたりで街のはずれの廃車のなかで遊んだときも、寂しかったわたしを乗せて月まで昇ってくれると勇ましく誓ってくれた、こんなにも頼もしい人なのに。助けてくれた人に、わたしはなにも差し出せない。

昔よく遊んだ公園のブランコがとてもちいさく見えて。
腰を下ろしていると、錆びたチェーンがきいきい音を出す。養護施設で飼ってた雌鶏(めんどり)みたいな悲鳴だな、ってふたりで笑いあった。親のいない哀しさをわかちあったわたしたちだったのに、いっしょに大人にはなれなかった。そんなぎこちない男女が真っ昼間からブランコ遊びをしているのは、なんだか奇妙だった。しかも、こじゃれたデザインの無糖の缶コーヒーなんかを片手に。



【目次】神無月の巫女二次創作小説「君の瞳に生まれたエフェメラ」




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