陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「君の瞳に生まれたエフェメラ」(三)

2024-10-01 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

大神くんは何も知らなかった。
わたしがぼちぼち思い出した記憶のかけら――命懸けでオロチ衆と戦ってくれたことも。この穏やかな暮らしが再生されたのちの地球においてであることも。そして、わたしたちは他愛のない子ども時代のことをふたつ、みっつ、覚えているだけだった。わたしの大好きなもの、甘くし過ぎた卵焼きのことも忘れていない…わたしたちをつなげるものはそれだけ、それだけなんだ。

示し合わせたわけでもないのに、高校時代のこと──乙橘学園でのことを話題にするのを避けていた。だって、あの日の放課後の告白のことを思い出させたくはなかったから。

しゃべっているのは大神くん。息継ぎ代わりに、缶コーヒーをぐいぐい二杯も空けた。わたしの缶はなかなか減らなかった。

帰りがけにふと、大神くんがこんなことを訊ねた。

「姫子、お前はいま、幸せなんだよな…?」

わたしは、こくん、と頷くのが精いっぱいだった。
首のゆるんだこけしみたいで、自分でもおかしい。たとえ、いま、千歌音ちゃんのほんとうが分かっていても、わたしは大神くんの前ではそうしたに違いない。だって、わたしが幸せにしてあげられなかったひとのまえで、幸せは口にしてはいけないような気がしたから。わたしの一番のひとがやってきたんだもの、幸福すぎてもったいないよ、でも…。どうして、こんなに虚しいのかな…。

わたしが俯いたまま黙っていると、几帳面に両手を添えられたカードが差し出された。
わたしがそれにじぃっと視線を落とそうかというとき、慌てて別のものに差し換えられた。どぅわあああ、という盛大なおののきつきで。どうやら、大神くんてば、うっかり間違えたらしい。それにしても、さっきの。なんとかノリコっていう、アイドル声優さんファンクラブの会員番号が見えたような気がするけど…。しかも、番号ひと桁台…筋金入りなんだ。

「それ、うちの神社で持たされてる名刺なんだ。そこのメルアドでもいいから、困ったら連絡くれよな。俺忙しいから、返事遅れるかもしれないけど…。いや、俺宛じゃなくてな、お悩み相談のカズキ兄さんの窓口としてだな…、その、つまり、いま、女の子のお参り多いからってわけだから」

なんだか、顔を真っ赤にしてしどろもどろになった大神くんは、やっぱり、わたしが知っている、いじめっ子から守ってくれたあの熱血ソウマくんと同じなのでした。怖いぐらいまっすぐに敵に立ち向かっていくヒーローみたいな男の子のままの。

「お前の声、聞いたらまた同じこと言っちまいそうだからな、俺。俺は姫子を困らせるようなことはしたくない。漢(おとこ)に二言の好きはない、俺の持論だ」

大神くんは、最後にそう言い残して、去っていきました。
ぼんやりと覚えているけれど、傷だらけになりながらもわたしの背中を押してくれたことが、何度もあった。

制帽の似合う今は、彼の手ですくわれる人は数えきれないぐらいいるのだろう。
頼る先のないひとが彼のもとへいくらも押しかける。市民の盾として我慢づよい彼は、ときおりそのむちゃぶりな正義感とプライドとに押しつぶされそうにもなるだろう。わたしは彼の女神にはなれっこない。わたしが側にいなくとも、彼は自分の力でまぶしいぐらいに輝いているのだ。その彼を支えているのが――ひょっとしたら、その声優さんの声は…。いいえ、それは考えないことにしよう。大神くんがいま生き生きとして幸せなら、それでいいのだから。

わたしも大神くんみたいに、苦いコーヒーを飲み干せる大人になれるかな。なれるといいな。苦いコーヒーを飲んだ数だけ強くなれるといいな。



【目次】神無月の巫女二次創作小説「君の瞳に生まれたエフェメラ」




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