「私は、姫子の笑顔だけ護っていたい訳じゃない。本当の貴女を、素顔の姫子を受け取りたいの。私は貴女だけのハンカチになると決めたのだから」
ああ、それを言われちゃった。
だめだよ、千歌音ちゃん、それは。それはね、あなたを抱き寄せるわたしの、とっておきの贈り言葉だったのだから。
「わたしは…もうぐちゃぐちゃで、千歌音ちゃんの顔がまともに見られないよ」
「貴女の瞳に生まれた私のすがたは、陽炎のように、はかなくてもろい。きっといま、姫子の苦しみを押し流してくれているの。だから、もう泣いてもいいのよ、思う存分にね」
胸に顔を埋めてしまったから、もう完敗だった。
ああそうなんだ。これが来栖川姫子の涙なのだ。千歌音ちゃんの前ではいつも甘えちゃう。生まれ変わったら、強くなったわたしが手を引いてあげたいと思っていたのに。あなたはやっぱりわたしを高い空へと引き上げる。わたしを光り輝くお陽さまにしてくれるのは、いつだってあなたなんだ、千歌音ちゃん。
「写真より実物の方がずっと素敵ね、私はもっと貴女の心が知りたい。姫子のどこが熱くて、柔らかくて、甘いのか。それを感じたら、私たちは二枚貝のようにひとつになって、痛みを分け合えると思うの、だから…」
そういう間に、千歌音ちゃんはわたしの襟に手をかけていた。
腰を抱きよせられたら、わたしも彼女の帯を解いていた。千歌音ちゃんは花びらを剥ぐみたいに、わたしをやさしく生まれたままのすがたにしてくれた。包んでいたものがほぐれていくと、わたしは何も隠すことができなかった。千歌音ちゃんに対する恥ずかしさも、苦しさも、ぜんぶ千歌音ちゃんが蝶のようにひらひらとふわふわと、美しくいとおしそうに吸ってしまうのだ。肌があわらになるたびに涙はもうすっかり乾いて、唇の熱さと喜びだけが全身を覆っていった。私はこの人に愛されることを恐れ、けれども、誰よりもそれを強く望んでいたのだ。わたしの心が、からだが、その千年万年ぶんの狂おしさを覚えていたのだから。
そのあと、わたしたちはもちろん、写真で残せないような濃密な夜を過ごした。
ベッドわきに置かれたカメラはそれを覗いていた。それは誰も知らない、二人だけの透明な一枚になるはずだった。けれども、それはエフェメラのように、せつなの夜のできごとで、ふたりのあいだの瞳にしか刻まれない秘めごとだったのだ。
「私を見つけてくれて、ありがとう。どんなに貴女が孤独だったか。逢えるかもわからない約束にしがみつくことの心細さ。それを抱えて、貴女は私を求めてくれた」
ああっ、もう、だめ。そんなこと言われちゃったら、わたしの瞳が決壊ダムみたいに溢れちゃう。
「お待たせしてごめんなさいね。私、貴女を幸せにするわ。前世も、前前世も、いままでの何人もの姫子の分まで貴女を愛していたいの」
きっと、この言葉を待っていたいがために、私たちは百年も、千年も、いやそれ以上ものあいだ、生まれ変わって傷つけあって、そして愛しあってきたのだろう。
それから、わたしたちがしたことは。
ふたりおそろい写真のカレンダーづくり。月の社では月曜日もなく、火曜日もなく、土日祝のはじけた楽しさもなかった。そんな寂しかった千歌音ちゃんとの想い出を毎日毎月毎年残していくためのお手製の。一月には初詣で着飾って。二月にはスキー場で。三月にはお雛様を並べて。四月には桜のお花見。五月には藤棚の下で。六月は相合傘でお出かけ。七月は川べりで足を浸して。八月は海で泳いで。九月にはお月見を楽しんで、十月はわたしたちのお誕生祝いと紅葉狩り。十一月は絵画展巡りをして、十二月になったらもうクリスマスでお正月準備。きっとどの予定もどの予定も、お誕生日会を巨大ロボットの来襲でつぶされるようなイレギュラーがあって、思うだにならなくて。それでもやってよかったのだと思える一日にしたい。
過去の思い出が消えても、蘇らなくなっても、もう構わない。
きれいごとの一枚にはもうすがらない。これから、ふたりの時間はいくらでも積み重ね、歴史をゆっくりと延ばしていくことはできるのだから。記念日向きのおあつらえの装いでなくたって、ときには喧嘩もしたり、情けなくあったりしても、それでもそんなあなた同士でいいと思える日々が過ごせるのならば、それでいい。それがイイ!
そうやって、わたしと千歌音ちゃんの一年が終わり、いっしょに確かな未来をつくっていくのだ。
また、来年も同じことをしようねと誓うために。ふたりだけの時間を神さまにも消せっこないように。この出会いをたった一日、一瞬だけの奇跡に終わらせないために。十年、二十年…いやもっと百年のちになったとしても。
【了】
【目次】神無月の巫女二次創作小説「君の瞳に生まれたエフェメラ」