陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

作家と出版社、恩讐の彼方にタブーに触れてしまう

2019-05-19 | 読書論・出版・本と雑誌の感想

ネットでの一般市民の発言権が強まっていく一方で、出版や通信、報道業界の権威に疑いを抱くような事態も珍しくはありません。
テレビ番組や新聞、週刊誌の捏造や取材ミス、印象操作や事実隠蔽。マスコミだけではなく、ネット上のニュースサイトや、SNS、個人のホームページやブログまで含めて、書かれたことの正しさについて、まず疑うことからはじめなくてはいけない。

出版社が物議を醸した事例としては、昨年の新潮社のLGBT差別寄稿が記憶に新しいですが。つい先日、5月中旬にもひと騒動がありました。出版社と作家とが言い争い、作家がわが書籍の実売部数をSNS上で晒されてしまったというもの。

事の発端は、小説家T氏がG社刊行のベストセラー本に、ウィキペディアなどからの不適切な引用があると指摘したこと。このベストセラー本には、他にも過去の歴史本からの流用があるとして複数の識者からのクレームがあり、G社は公式説明もなく、暗黙裡に増刷分で修正したのみ。

T氏の執拗な抗議に業を煮やして、G社はT氏の刊行予定だった文庫本を出版停止に。T氏はその後、別の出版社から文庫を出版することになったのですが、なんと、G社代表取締役のK氏がツイッター上で、T氏の書籍が印刷数の5分の1しか売れなかったので、自分は出版に反対したのにと暴露。

実売部数を晒して作家の評判を落としたこの行為に、他の作家連中の皆さんがSNS上で猛抗議。カリスマ編集者として知られたK氏のワンマンぶりや、契約されたはずの印税を引き下げさせられたなどG社ふくめた出版社への恨みつらみを、作家たちがいっせいにぶちまけあう事態になり、ついにはK氏が謝罪してツイートを抹消することになります。

ネット上では、この実売部数をさらされた小説家への批判も少なからずあります。
売れない作家が本を出せるのは、同じ出版社から売れている作家がいるおかげなのに、という声。しかし、このT氏は小説家としてのキャリアは長く、もともとは少女小説家として1980年代のライトノベル人気を支えている。私が昔、勤めていた図書館にも彼のライトノベルはかなり置かれていましたので、名前は知っていました。現在は名義をやや変えて一般文芸に転向していますが、その業績を知る作家さんや、ファンだった編集者さんも多いはずです。過去の栄光とはいえ、昔の出版業界を支えた功労者でもあります。

いっぽう、K氏ももともとは大手出版社に勤め、雑誌の売上を爆増させ、直木賞作家を何人も担当し、ベストセラーも手掛けたカリスマ編集者。独立して立ち上げたG社の名を、私は名作アニメ「少女革命ウテナ」の研究本ではじめて知りました。けっして、悪いイメージがあった出版社ではありませんでした。このベストセラー本著者の小説も話題作なので、私も読みましたが感動した場面もありますし。

本の実売部数はそもそも作家さんには知らせないというのが、出版業界の不文律だという。
著作者は初版の印刷部数に応じて、まずは印税収入をうける。この印刷部数は出版社の販売戦略次第なので、作家の自由にならないと。そして、本が売れないのは出版社にも責任があるのに、タブーを破って作家の評判を貶めたうえ、他社へ移籍する作家の営業妨害をしたことに、同業者からは憎悪を向けられているのですね。

この出版業界のタブーの是非についていまは触れませんが。
そもそも、このカリスマ編集者にして経営者のK氏も、編集業や読書に関するいくつかの著作があります。すなわち彼自身も文筆家の端くれなのであって、他人の実売部数を公開するのならば、まず真っ先に自著の売れた数を世の中に見せればいいのでは、としか言いようがありませんね。自分は売れる本の見極めができる、というのであれば、ご自身の本もさぞや売れるはずですし、その嘘いつわりないデータを示さないといけません。

今回、K氏が自社の営業上の不都合のために、小説家T氏との信頼関係を打ち破り、さらにはその背中に砂をかけて追い出すような仕打ちをしたとしか見えません。しかも、G社側はT氏みずから出版中止を申し入れたように主張したはずが、社長のK氏みずから文庫化に反対だった意思を表明してしまっています。言い分が矛盾しています。

企業の経営者ですから、むろん、ある程度の利益を確保せねばならない事情はあるでしょう。いくら編集者のお気に入り作家であっても、採算がとれない本は出せないし、素行の悪い作家と袂をわかちたいのかもしれない。K氏によれば、他社での文庫本刊行化にあたっての、G社の出版権は譲渡しているので、こちらは損失をこうむっているというわけです。しかし、一度はいい本を出そう、出版業界を活気づけようといっしょに仕事をした仲間をこきおろす気持ちがよくわかりません。いつ仕事でつながるかわからないので、士業の先生は同業者の陰口はぜったいにこぼさないですし。

作家と出版社のあいだに何があったのかを読者はあずかり知るところではありません。
ただ、今回の件、出版社は思いのほか、作家に対するリスペクトというか、まちがった育て方をしすぎているんじゃないか、それが現在の出版不況を招いているんじゃないかと危惧さえ覚えます。売らんかなの方針のせいで、似たような本が量産され、市場にあふれている。契約をひっくり返したり、不当な労働で長期間拘束したうえに報酬を支払わなかったり、評判を落とすような流言をおこなうのは、企業によるフリーランスいじめというべきで、立場を利用したパワハラもいいところです。これまで、どれほど多くの作家が泣き寝入りをしてきたのでしょうか。

SNS上では過去に口惜しい思いをした作家によるこぼれ話などもよく出てきます。
作家側にも問題がないといえないでしょうし、あまりごちゃごちゃ仕事関係の愚痴を聞かされるのも好きでありません。売文の徒といわれるひとが、口ぎたなく、ネットでののしりあうのを見るのも、本好きの読者としては実にいたたまれないものがありますね。

ただ、一般読者からすると、出版業界への憧憬と信頼を損なう醜態だとしか思えないですね。私の好きな作家さんは、こんなモラハラ体質の出版社や編集者さんとは関わらず、いい仕事を残していってほしいと願うばかりです。


読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。





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