
過日、二枚の葉書が届きました。
差出人は、独立行政法人日本学生支援機構、かつての日本育英会ですね。
内容は、奨学金返還完了の通知で、二枚あるのは奨学生番号を二種有していたから。学部と大学院の、です。
この奨学金は、学部四年間で月44000円、修士二年間で月84000円を借りていました。
総額にして、420万ぐらいになります。毎月25000円ほど返済し、15年で今年9月に支払い終わったのです。
私は高校時代に実父が癌に罹患して働けなくなったため、高校時代からすでに給付の奨学金や授業料減免を受けていました。そのため受験でも予備校や塾にも通わず、私大の滑り止め受験もできず。ほんらいは旧帝国大を志望していたのですが、二流国立大学に現役合格しました。そして、やはり、経済力に不安があったので、学歴ロンダもせずに、その大学の修士に進学。修了後、非正規で働きながら博士進学を考え、学術誌への論文寄稿もしていましたが、2004年に諦めています。
人文科学系、しかも就職しづらい美学美術史専攻。
しかし、私は恵まれていたのかもしれません。入学前に優先的に生活費のかからない寮へ入らせてもらい、授業料減免も受けられ、学生課に相談すれば財閥系の企業財団の給付型奨学金も得られました。教授から図書館や美術館非常勤の仕事を紹介されたり、家庭教師のバイトの斡旋もありました。
私が受給していた企業財団の奨学金は、今では支給要件がかなり厳しくなっています。
日本学生支援機構の奨学金貸与者も多いようですが、私のように、無利子返済の第一種奨学金には枠に限りがあります。
優秀な学生だったので、経済的支援に恵まれたのでしょうか。
論文の資料代に使う以外は贅沢もせず、遊びもしませんでしたし、働くのが嫌いではなかった私は、奨学金を減らすことはありませんでした。もちろん、親から仕送りももらわず、自活できていたのです。しかし、社会人になってから何度か失職することがあり、奨学金の貯金は命綱になりました。
15年前に返済が始まったとき、私はやろうと思えば、一括返済もできるはずでした。
それをしなかったのは、無利子なので返済繰り上げしてもメリットがないこと。そして、返済中に私が死亡した場合、遺族は債務免除されるからです。じつは、この毎月定額でコツコツ返したのは正解でした。
なぜかといいましたら、私は数年前に亡くなった親族の葬式代および未納の税金を肩代わりせねばならなくなり、すぐにも数百万円の元手が必要だったからです。返済用の資金の口座を解約し、自分が背負わねばならない借金のために費やされるのには、涙が出ました。しかし、それがあったおかけで危機を乗り越えることができました。
同時に、私は収入を増やすべく、士業ふくめた資格取得にも励み、転職を繰り返しながらも、生活を安定させることができました。そのため、趣味活動などはなるべく切り詰め、生活に必要でないものは最低限にしました。
学生時代に、数百万の奨学金を得たのでブランドバッグを買ったとか、車を買ったとかいう話はよく聞きます。私には無縁のお話でした。企業財団の奨学生仲間は、自分たちが飲み会を開きたいので、そのお金まで支援者からもらおうとしましたが、私は乗りませんでした。
以上は、あくまでも私のケースなので、参考にならないのかもしれません。
でも、その企業財団の式典に招かれたときに言われた言葉がいまでも耳に残っています――「お金の心配をせずに学業に専念できるのはいいことだ。けれども、ほんとうに学問を究めるには、お金がありすぎてもよくない」。
私の大学院時代の教官たちは、お金に対しては対照的でした。
論文の主査である指導教官の教授Aは、学内で権力があり、研究室にお金を引っ張ってくるタイプ。副査である助教授Bは、潔癖で、キルケゴールのようにカビの生えたパンをかじりながら、本を買い、腹を空かせても資料を読めというストイックさ。教授Aはいい加減で就職の世話もしない、助教授Bは面倒見がよく指導力もあったので信奉者が多く、うっかり博士進学した者もいましたが、指導が厳しいので自殺者もいました。
学生時代に学問の崇高さと裏表で功績に逸るあまりに人を陥れる狡猾さ、などに嫌というほど触れた私は、大学で習ったことを後悔はしてはいませんが、研究者の道には進まずによかったと感じています。いまの、非正規だらけの教員の待遇、、学力のない学生を高校時代の復習から教える教育レベル、論文の不正、データねつ造。先ごろ露見した日本学術会議は、中国に日本の科学技術力を横流ししていたという噂もあります。学生には潔癖であれ、志高く諭しながら、若者の成果を奪い、自己の利権確保のために、学者としての魂を売る。はたしてこれが、日本の教育者の姿なのでしょうか。
世の会社は、大卒以上、高度なIT能力など若い世代に高い能力を求めすぎる。
そのわりには、教育費は各御家庭任せ。保護者は子どもの教育投資に躍起になり、若者は年寄りばかり優遇され先の見える世のなかに絶望しています。
博士号持ちの人材が日本では活かされていないとの指摘はありますが、果たして、世界に誇れるほどの博士論文を書き上げた学位者はどれほどいるのでしょうか。私の同期で、学歴ロンダで博士号取得したある者(英語で論文を書いたことがなく、博士号取得に10年もかかっている)は、その論文のテーマがあきらかに自分の修士課程までの大学の後輩の研究テーマを後から盗んでいました。私はこれを自分の指導教官に告げたことがありますが、学界にいないお前が口出しする話ではないと一蹴されただけです。皆さん、このお話、どう思いますか?
家庭の経済力に関わらず、意欲あるもの、向学心に燃えるものには進学の道を開くのは望ましいです。けれども、支援で甘やかしてはいけないのは、学生のみならず、大学側も同じです。日本は少子化なのに、大学の数が多すぎます。補助金の見直しもたびたび俎上にあがっていますが、研究の質について、あるいは教育レベルについても、精査されるべきでしょう。
(2020/11/03)