戦争の犠牲者は、軍役に就いた者だけでなく、むしろ無抵抗な民間人が多数を占めるのです。
出兵して復員した兵士には、恩給が出ます。傷害を負っていれば、高い手当がつきます。しかしながら、空襲で家を焼け出され負傷した被害者には、なんらの補償もありませんでした。それは、軍人と異なって、民間人が国と契約してはいなかったからです。家財道具や高級品を奪われた一般人も多かったと聞きます。貴金属から鍋の蓋に至るまで、お国のためにと当時の民間人は提供せねばなりませんでした。
「さよなら子供たち」は、ドイツ占領下、フランスの寄宿学校を舞台にした、ルイ・マル監督の自伝的なドラマ。保身のために、昨日まで机を並べていた友人を身売りせざるをえない。いまの学校は学級崩壊が進んだだの、モンスターペアレントがいるだのいいますが、大人の身勝手な理屈が子どもたちの意識に差別感を植えつけてしまう恐ろしさ。いつの時代でも変わらない負の連鎖を如実に物語っていますね。
子どもが戦争に巻き込まれた映画としてはもう一作。
アンドレイ・タルコフスキー監督の「僕の村は戦場だった」です。第二次世界大戦下の旧ソ連、敵兵に家族を殺され孤児となった少年が、みずから志願して戦争に加担していった末の悲劇。自分の子どもや親戚の小さな子どもを戦場に送り出せねばならない世の中なんて、考えただけでもおぞましいですね。
日本においては、戦後といわれるけれども、世界各地で絶え間なく血みどろの紛争は続いています。
その多くは民族問題が絡んでいます。
「麦の穂をゆらす風」は、1920年代におきたアイルランド独立戦争に参戦した兄弟たちのたどる悲しい末路を描いたもの。700年に及ぶ大英帝国の統治・同化政策に耐えかねて、共和国建設を夢見て決起した若者たち。しかし、指導者となり権力を握った各々が、主義主張の食い違いと利権をめぐって、同士討ちに至ってしまいます。この北アイルランド問題は、現在も尾を引きつつあって、IRAは現在も分裂をくり返しては内戦状態。行きすぎた祖国愛・同胞愛が大義名分をすりかえてただの暴徒の集団と化してしまう。それが戦争の実態です。勝てば官軍とは、よくいったもの。
「マイケル・コリンズ」は、そのアイルランド共和国建国の立役者とされる指導者の伝記的映画です。一部の史実が歪められ、英雄視されているきらいがあります。アイルランドは現在、査定の甘い銀行に海外投資家が融資した資金が焦げ付き、それを政府が補填してんがために、国家財政が破綻の危機に瀕しています。日本だって対岸の火事ではありません。戦争は、民衆の不満が押さえきれなくなった時に、なにかの軽いきっかけで起こりやすいのです。
「灰とダイヤモンド」は、ポーランドの民主化運動をあつかった巨匠アンジェィ・ワイダ監督作。ドイツの降伏に伴い、自国の解放の歓喜に湧くワルシャワ市民。しかし、それは、ロシアによる共産主義支配のはじまりと、新たなレジスタンス闘争のはじまりに過ぎないものでした。ワイダ監督は、一時期亡命を余儀なくされるも、最新作「カティンの森」でも、ロシアに虐げられたポーランド将校たちの悲劇を扱って、祖国の哀しみを世界中に訴えています。
1960年代、日本でも学生運動が紛糾して話題になったベトナム戦争。
実際に出征した兵士の目線から、戦争の不毛を描ききったのが、オリヴァー・ストーン監督作の「プラトーン」。勝利者も英雄もいない、人を殺しても、何も得をしない。なのに、アメリカはなぜ、こんな戦争に介入したのか。
同監督の「7月4日に生まれて」は、そのベトナムからの帰還兵が、豊かな繁栄を誇りつつある祖国に拒まれ、自尊心を傷つけられてしまうお話です。
さらにその米国が手を出したのが、1990年代の湾岸戦争。
夜間にイラクの軍事基地を砲撃する映像がリアルタイムで流され、もはやフィクションを超えるかとも思われたほど。その戦争をまだ終結前の96年に題材にしたのが、「戦火の勇気」です。構成の巧みさに目を奪われますが、ここでも問われているのは、戦場における正義と勇気とは何か。数多くの敵を倒してこその英雄ではなく、多くのいのちを守り抜いてこその英雄ではないのか。そんな感想を抱きました。
武器をとり、戦地に赴くのだけが戦争ではない。
第二次世界大戦後には、世界の主流が二派に分かれ、勢力争いを繰り広げていました。
「善き人のためのソナタ」は、昨年度、ベルリンの壁崩壊から20年を迎えたドイツの、わずか四半世紀も前のこと。社会主義国家時代の東ドイツ、自由な表現活動も許されず国家の監視下におかれた芸術家たちの苦悩を描いたドラマ。ドイツはその昔、北方ルネサンスの中心地として、デューラーやルーベンスを輩出し、20世紀初頭にあっては表現主義を生み出したお国柄。第二次大戦後は、文化は西側のみに発達しました。日本も東西で分断されていたとしたら、現在、クールジャパンと評されるようなアニメ・漫画のブームを築けなかったかもしれません。つくづく平和の有り難さを噛みしめますね。
「ノー・マンズ・ランド」は、いまだ解決の糸口の掴めないボスニア・ヘルツェコビナ紛争を皮肉ったブラックコメディ。呉越同舟といいましょうか、ピンチに遭って等身大の人間として理解するかにみえたボスニア人とセルビア人のふたり。しかし、和解の道を閉ざしたのは、国連防護軍と、各国の傍観者然とした報道記者たち。この構図、南北にわかれたベトナムの内戦に介入したアメリカに似ていますよね。そして、真実を探り出そうとしながら、実は捏造したり隠蔽したり、見過ごしてしまっていたマスコミの業の深さをもするどく抉りだしてみせているのです。
冷戦時代の対立軸は崩れ、資本主義が浸透しはじめたアジアの新興国では、映画製作もさかんです。
中国のアクション映画はハリウッドにも影響を与えているようですし、インドの娯楽映画、近年ではイランの映画も海外で高く評価されています。大資本を注入してこそ成り立つ映画界の爛熟が、経済発展と機を一にするものであることを考えあわせますと、こうした核兵器を保有する国々が、先の戦争をどう描き、どのようなメッセージを発していくのか。注目したいところです。
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出兵して復員した兵士には、恩給が出ます。傷害を負っていれば、高い手当がつきます。しかしながら、空襲で家を焼け出され負傷した被害者には、なんらの補償もありませんでした。それは、軍人と異なって、民間人が国と契約してはいなかったからです。家財道具や高級品を奪われた一般人も多かったと聞きます。貴金属から鍋の蓋に至るまで、お国のためにと当時の民間人は提供せねばなりませんでした。
「さよなら子供たち」は、ドイツ占領下、フランスの寄宿学校を舞台にした、ルイ・マル監督の自伝的なドラマ。保身のために、昨日まで机を並べていた友人を身売りせざるをえない。いまの学校は学級崩壊が進んだだの、モンスターペアレントがいるだのいいますが、大人の身勝手な理屈が子どもたちの意識に差別感を植えつけてしまう恐ろしさ。いつの時代でも変わらない負の連鎖を如実に物語っていますね。
子どもが戦争に巻き込まれた映画としてはもう一作。
アンドレイ・タルコフスキー監督の「僕の村は戦場だった」です。第二次世界大戦下の旧ソ連、敵兵に家族を殺され孤児となった少年が、みずから志願して戦争に加担していった末の悲劇。自分の子どもや親戚の小さな子どもを戦場に送り出せねばならない世の中なんて、考えただけでもおぞましいですね。
日本においては、戦後といわれるけれども、世界各地で絶え間なく血みどろの紛争は続いています。
その多くは民族問題が絡んでいます。
「麦の穂をゆらす風」は、1920年代におきたアイルランド独立戦争に参戦した兄弟たちのたどる悲しい末路を描いたもの。700年に及ぶ大英帝国の統治・同化政策に耐えかねて、共和国建設を夢見て決起した若者たち。しかし、指導者となり権力を握った各々が、主義主張の食い違いと利権をめぐって、同士討ちに至ってしまいます。この北アイルランド問題は、現在も尾を引きつつあって、IRAは現在も分裂をくり返しては内戦状態。行きすぎた祖国愛・同胞愛が大義名分をすりかえてただの暴徒の集団と化してしまう。それが戦争の実態です。勝てば官軍とは、よくいったもの。
「マイケル・コリンズ」は、そのアイルランド共和国建国の立役者とされる指導者の伝記的映画です。一部の史実が歪められ、英雄視されているきらいがあります。アイルランドは現在、査定の甘い銀行に海外投資家が融資した資金が焦げ付き、それを政府が補填してんがために、国家財政が破綻の危機に瀕しています。日本だって対岸の火事ではありません。戦争は、民衆の不満が押さえきれなくなった時に、なにかの軽いきっかけで起こりやすいのです。
「灰とダイヤモンド」は、ポーランドの民主化運動をあつかった巨匠アンジェィ・ワイダ監督作。ドイツの降伏に伴い、自国の解放の歓喜に湧くワルシャワ市民。しかし、それは、ロシアによる共産主義支配のはじまりと、新たなレジスタンス闘争のはじまりに過ぎないものでした。ワイダ監督は、一時期亡命を余儀なくされるも、最新作「カティンの森」でも、ロシアに虐げられたポーランド将校たちの悲劇を扱って、祖国の哀しみを世界中に訴えています。
1960年代、日本でも学生運動が紛糾して話題になったベトナム戦争。
実際に出征した兵士の目線から、戦争の不毛を描ききったのが、オリヴァー・ストーン監督作の「プラトーン」。勝利者も英雄もいない、人を殺しても、何も得をしない。なのに、アメリカはなぜ、こんな戦争に介入したのか。
同監督の「7月4日に生まれて」は、そのベトナムからの帰還兵が、豊かな繁栄を誇りつつある祖国に拒まれ、自尊心を傷つけられてしまうお話です。
さらにその米国が手を出したのが、1990年代の湾岸戦争。
夜間にイラクの軍事基地を砲撃する映像がリアルタイムで流され、もはやフィクションを超えるかとも思われたほど。その戦争をまだ終結前の96年に題材にしたのが、「戦火の勇気」です。構成の巧みさに目を奪われますが、ここでも問われているのは、戦場における正義と勇気とは何か。数多くの敵を倒してこその英雄ではなく、多くのいのちを守り抜いてこその英雄ではないのか。そんな感想を抱きました。
武器をとり、戦地に赴くのだけが戦争ではない。
第二次世界大戦後には、世界の主流が二派に分かれ、勢力争いを繰り広げていました。
「善き人のためのソナタ」は、昨年度、ベルリンの壁崩壊から20年を迎えたドイツの、わずか四半世紀も前のこと。社会主義国家時代の東ドイツ、自由な表現活動も許されず国家の監視下におかれた芸術家たちの苦悩を描いたドラマ。ドイツはその昔、北方ルネサンスの中心地として、デューラーやルーベンスを輩出し、20世紀初頭にあっては表現主義を生み出したお国柄。第二次大戦後は、文化は西側のみに発達しました。日本も東西で分断されていたとしたら、現在、クールジャパンと評されるようなアニメ・漫画のブームを築けなかったかもしれません。つくづく平和の有り難さを噛みしめますね。
「ノー・マンズ・ランド」は、いまだ解決の糸口の掴めないボスニア・ヘルツェコビナ紛争を皮肉ったブラックコメディ。呉越同舟といいましょうか、ピンチに遭って等身大の人間として理解するかにみえたボスニア人とセルビア人のふたり。しかし、和解の道を閉ざしたのは、国連防護軍と、各国の傍観者然とした報道記者たち。この構図、南北にわかれたベトナムの内戦に介入したアメリカに似ていますよね。そして、真実を探り出そうとしながら、実は捏造したり隠蔽したり、見過ごしてしまっていたマスコミの業の深さをもするどく抉りだしてみせているのです。
冷戦時代の対立軸は崩れ、資本主義が浸透しはじめたアジアの新興国では、映画製作もさかんです。
中国のアクション映画はハリウッドにも影響を与えているようですし、インドの娯楽映画、近年ではイランの映画も海外で高く評価されています。大資本を注入してこそ成り立つ映画界の爛熟が、経済発展と機を一にするものであることを考えあわせますと、こうした核兵器を保有する国々が、先の戦争をどう描き、どのようなメッセージを発していくのか。注目したいところです。
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