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本日も雨ですね。雨の日はあまり好きではありません。出かけなければならないときは憂鬱になりますね。とくに図書館に出かけるとき、本が濡れるのがイヤなんです。
しかし、雨の日は雨の日なりの楽しみもあります。
庭の花木が滴りながら強い匂いを放ってきます。軒先から歩道へ顔を出す白い花が、自転車でとおりすがりに蒸したような甘い香りをたててくる、その感じです。二月に雪を落して(こちらの記事を参照)私をびっくりさせた松は、荒れた樹皮を黒く染めていました。
六月の桜木は、あの可憐な花びらに控えめな翠であった葉が空を覆おうほどおおきく濃い緑をひろげていました。人間は雨に打たれてしょぼくれてしまうのですが、植物の生命力はしたたたかです。どうして、てのひらよりも薄くちいさな葉が、重い雨をうけてもびくともしないのでしょうか。散る秋をむえかえるまで、その樹はたしかに自分の夏のすがたを保っていました。
いつもいくごみ置き場の近くに、愛らしい仔猫が二匹。しかし運の悪いことに雨の日で撮影をあきらめたためカメラの持ち合わせがありません。仔猫は生後一週間ほどでしょうか。てのひらにすっぽり入りそうなからだ。雨に濡れてふるえるような表情をした仔猫は、なんだか守ってあげたくなるような心地がして。1メートルの距離から舌を鳴らして呼び寄せてみましたが脈なし。排水溝のある狭い路地に逃げられてしまいました。それでもこちらを振り向いたので、未練がましく秋波を送っておりましたところ。奥にいた母猫がふーっと怒りの息吹をたてていました。こうなっては退散です。せめてカメラさえあれば。惜しかった。
二日休みでしたので、月曜までに下準備しておきたかったのですが。うっかり手帳を持って帰らなかったことに気づきました。鞄がちいさいのでコンパクトな手帳にしたのがそもそもの間違い。デスクの奥におくとうっかり忘れることが多くなりました。編集スケジュールは別紙の予定表でいただいていますので来週一週間の予定は頭にはいっていますが、細かな作業の手順やアイデアなどを書き記したノートもいっしょに置き忘れたので、なんだか落ち着きません。
おまけにひさしぶりに妄想ムードにトリップしてしまいましたので、あれもやろう、これもやろうと欲張って立てていた休日の予定がもうすっかり崩れてしまいました。起きたのからして昼近くでしたし(苦笑)
…とまあ、こんなわけでまたダラダラ、タラタラ、ペラペラ駄日記なんですね。
日本人のブログはただの生活記録であって、ジャーナリズムとしての力がないと評論家はおっしゃいますが、やはりそのとおり。社会人の方のブログを読むと、なんで私生活のことしか書かないんだろうって不満をいだいていたのですが。じっさい最近の自分もそうなっていました。日々の出来事を書きつけたほうが楽だから。しかし、業務内容をくわしく書くわけにもいかないので、どんなにおおきな仕事をしている役職でも、けっきょく自分の趣味だのちょっとした思いつき程度のメモにしかならないのです。
いつまでも繰り言の仕事の反省とか心構えのようなことしか言わない。
しかし、ある組織に属し現実に社会生活を営んでいるからこそ生きる言葉もあるのでしょう。着飾った言葉よりも、もっとひとを深くとらえることば。
まとまった思考を文字に変えるというのなかなか時間がかかります。で、いい言葉がうかんでくるのを待っていよう、そんな習慣がついたおかげで、今かなり苦労しています。
雨の日に撮り逃がした猫は、ほんとうは私を待っていっとき逃げなかったのではなく。抗議の声を送りつけるために、とどまったのでしょう。それを私への愛嬌だと勘違いしたのは、なんとおこがましいやら。
数分後にまたカメラを携えてその場所をおとずれてみたものの、猫の親子はもう消えていました。
出逢いのチャンスとひらめきの瞬間は似ています。あのロストがラストだったのかもしれない。もう二度と生まれてこない。そんな不安がつねにあります。
天候に恵まれないから、条件が揃わないから。そういってこれまで自分はやる気を削いでしまっていたのかもしれません。できないことを世界のせいにするのは、やめにいたしましょう。そうは思ってみてもうまくいかなければ、雨のせいにだってしたくなります。夏の雨の日は物思いが多くなります。
でも、雨の日だからこそ感じられる温かさもありました。傘を忘れた帰りに、こころよく傘を貸してくださった方。わずかφ1メートルの雨除けが、惨めな気持ちを払ってくれました。明日はその傘をもってお礼をいいにいきます。働きぶりでお返しできるとよいのですが。
(〇八年六月二十二日 覚え書き)