私は見た目、穏やかそうな顔つきに見えるのですが、内心はものすごく負けず嫌いです。
悔しい! むかつく! 今に見てやがれ! は、これまでの努力の原動力です。学区外の進学校に通ったのも、県外の大学に行ったのも、士業資格を取ったのも、そして30歳過ぎたら挑戦できるはずがないと言われた正社員の事務職になれたのも、個人事業上で公的権威やら古い人間が圧力をかけても引かなかったのも、みんな、この負けん気のおかげです。
「LINEを強要する人間はあなたの友だちではない」(2022.02.26掲載)という記事で、私は過去の職場であった、ソーシャルメディアハラスメントについて述べました。
この記事について賛同の方もいれば、腑に落ちない方もいるでしょう。
なにせ、今や、若い方中心にLINEユーザーは増え続けています。大手の税理士法人などでも広報活動としてLINEを活用しています。また、個人情報保護上の懸念はあるにせよ、自治体も活用を模索しています。この流れはとめられないでしょう。
ところで、あの毒々しい記事を書いたのは。
これまでいくども職場の上司先輩からLINEのお願いはありましたし、やんわり私も断れていました。ところが、あの時だけは、同僚にかなり上から目線で、使えないと非人間だという人格否定をされたので、とても憤慨していたわけです。
しかも、ガラケーを常用していると言ったら、何人ぐらい登録してるの? とか数でマウントしてきたり。私がガラケーに登録している何百人の数を言えば、満足だったのでしょうか? 大口の取引先である経営者の名前を告げれば驚くのでしょうか? あほらしいので、私はやりません。誰かとつながっているから利用価値があるとか、自分の友だちに加えておいてやろうとか、思われたくはないので。
こうした通信機器を非難されたのにはトラウマがあって。
高校時代に、これまた偉そうな友人から、当時の家が黒電話だったのを馬鹿にされたことがありました。お前の家、いまだに囲炉裏でご飯炊いてるんだろ、とか茶化されたわけです。平成の時代に、そんな家あるわけないだろ、アホですか? と思いましたが、笑ってすませられない、私もずいぶん小心者です。あとから怒りが追いかけてくるんですよね。その場で言い返せないから。
私はLINEといいますか、くだらないSNSのやりとりで時間もお金も浪費するのは嫌なので、今後ともやらないでしょう。
しかし、このLINEを強制した人間が放った言葉は、私の胸に刺さりました。
──「いつまでも、古いやり方にこだわっていると、時代についていけなくなるよ」
その人は私より年上ですが、ZoomもGoogleのスプレッドシートも難なく使いこなせるわけです。私が知らずにいたITツールに慣れている。こんなムカつく言い回しをする奴が! 経理経験もろくになさそうなのに、と他人の粗探しをする私も同じ低い土俵に立っています。
この悔しさをどう紛らわせればいいのか? ブログ記事で毒づくだけでよいのだろうか?
だとしたら、自分も彼女以上の使い手になればいいのではないか?
そう思った私は、それまでひたすら資格のテキストやら、文学やら教養本やらばかり読みふけっていた生活を改めました。アニメも漫画もお預けです。この十年間で、遅れに遅れていたことを取り戻すのですから、楽しみは後回しです。
もっと最新の情報活用に詳しくなろう。
これができなければ、きっと、仕事を失うことになりかねない。他人から信頼を損なうことにもなるだろう。資格も学歴も、職歴も大したことないネット弁慶な人間に、小馬鹿にされ続けるのはもうたくさんだ。生き残るためには、これは必要なスキルなのだ。そう思うようになりました。
その結果、これまで嫌悪していた会計ソフトやエクセルでの記帳作業をもっとシステム化するようになりましたし。インターネットの使い方も趣味でのブログだけではなく、もっともっと実践的なことに使わねば、と考えるようになりました。くわえて、情報セキュリティ上の無知さにも気が付きました。
私はいまでも「みんながやってるよ」「誰もがこれをできるよ」という、あいまいな主語をつかって、自分の価値観を正当化する行為が苦手です。
ネットの世界に長くいる程、こうした気味の悪い連帯感を感じて、ぞわぞわします。だから、そういったささくれだった気持ちのシェアに惑わされないように、自分も情報活用していかないといけないと感じた次第です。
ソクラテスの言葉に「無知の知」というのがありますよね。
この世界には自分が手繰り寄せられない知識の海があって、自分が知りえているのはほんの少ししかないわけです。
厭味な人間のおかげで、できなかったことに気づけました。
その点では、皮肉ですが、お礼を言いたいですね。とはいっても、もう会うこともないし、会いたくもない相手なのですが。あれは、神さまが私を鍛えるために差し向けた悪魔だと思うことにします。
ちなみに、私の記事を読まれて、気分を害された方も。
同じように発奮して、何かに取り組んでください。明治維新が起きたのは虐げられた下級武士の不満から。革命はすべて何かの怒りからはじまるのです。正しい怒りは、自分を成長させます。
(2022/02/25)