足元のおぼつかない道を、心もとない明かりをあてにして、言葉すくなに進む。
さっきから頼みの相棒は沈黙を保ったままだ。スティードはスリープ状態にして、首に繋げられたライトの役割を果たしていた。
道はどこまで続くか分からなかった。ただ、先を急ぐ背中が止まったときが、ゴールだった。前を歩く導き手が止まらない限りは、足を止めることはできなかった。
トーマ・アヴェニールは不思議だった。
先を歩む彼女は歩き出してからこのかた、一度も後ろを振り返りはしなかった。自分が素直についてきてくることを微塵も疑っていないようだった。
彼女は知っているのだ。自分が出会って七年も慕う者とおなじ背格好をした彼女を、いやいやながらも追いかけることができるのは、彼だけなのだと。
星空だけではなんとも光りの乏しい道のりで心細い。だが、彼は研ぎ澄まされた視覚と聴覚を頼りにして歩き続けた。ぼんやりと前を歩く黒い輪郭、そして一歩先んじていく足音。それが途絶えぬ限りは、この行程はやむことがない。
ノーヴェ・ナカジマは疑っていなかった。
風呂上りの血圧が高い少年のからだを、わざと早いペースで歩かせてみた。こいつは弱音を吐かずに、すいすいと追いかけてくる。ちょっとは旅に出て鍛えられたんだな。
幼い頃は泣きじゃくりながら、ついてきた。途中で止まって駄々をこねても、優しい姉ならともかく、自分はけっしておぶってなどやらなかった。
スバルの憧れの人、そして自分が格闘技のコーチングをしている、幼い娘ヴィヴィオのあの若い母親が、よく口にしていた──「愛情はたっぷりかけてあげる、けれど絶対に甘やかさない」と。ノーヴェもその意見に同意だった。とかく姉のスバルときたら、どちらかというとヴィヴィオのもうひとりのママ役のほうに感化されていた。あのお人よしの執務官のほうに。とにかく、泣いていたらすぐさま駆けつけて、慰めてあげる。ご機嫌を取るまで側を離れない。あんな甘やかしはごめんだ。
ノーヴェがトーマ入浴中を襲ったやりとりから、すでに半時間。
ふたりは夜道を寡黙に歩き続けていた。夜空にはあいかわらず星々が、眠りかけていく世界を見下ろしていた。夜の静寂に包まれて動かない森を抜けて、二つの人影だけが路面を滑っていく。
ヘッドライトよろしく頭上のスティードのアームの先端が、道先に小さな遠い光りの円盤を落とす。トーマには相棒が照らす手燭のようなわずかの光りが頼りだったが、ノーヴェはよほど夜目が利くのか、闇をすいすいと抜けていく。
やがて、先を行く足音がぱたりと止まった。
トーマはノーヴェの立っていた地点まで、駆け寄って肩をならべた。そこは見晴らしのいい断崖の上で、広く開けた視界は星空から星の輝きを奪いとったかのように、茫漠たる深い闇が伸びていた。
目を凝らしてよく見れば、それはあの黒ずんだ海面だった。白いさざなみの輝きもない海面は、黒い油膜で覆われていて、水平線を越えた上からはじまる星空のほうが数倍も明るかった。
「どうして、ここに?」
「なに言ってんだ。お前が知りたがってたんだろ?」
「あの海の黒いのは知ってたさ。でも、別にいま拝みたいわけじゃ…」
「あたしがここに来た理由、知りたかったんだろ。だから、教えてやったまでだ」
ノーヴェは腰に手をあてて、崖の下を親指で示した。
暗い闇の底を覗き込んでいると、飲みこまれそうだった。吹き上がってくる乾いた浜風に顔を撫でられると足がすくみ、トーマは一歩だけ後ずさりした。恐がっていることを悟られまいと、全身を堅く身構えていた。