陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「蒼のゆりかご」(七十四)

2012-06-19 | 感想・二次創作──魔法少女リリカルなのは


「それは、こっちの台詞だ。なんで、お前がここにいるんだ。しかも、いつのまにか道連れがふたりもできてんじゃねーか。一人旅ってハナシじゃなかったのか? きっちりさっぱり話を聞かせてもらわねーとな。こっちは納得いかねーよ」
「誰が言うもんか。俺は意地でもここを動かない」

トーマはノーヴェに背を向けて、あぐらを掻いたまま、湯船に肩まで浸かった。
このまま無視しておけば、諦めて立ち去るだろうと見込んだのだ。しかし、それは相手を間違えた甘い考えだった。

「よし、わかった。手間が省けて、いいこった。じゃあ、連れて行ってやろう」

にやりと笑ってそう言うなり、ノーヴェはドラム缶を両手で担ぎ上げた。
急に目線が高くなったトーマは、仰天して立ち上がりかけた。缶は斜めに傾き、ざざざぁ、とさざめいて半分の湯水が零れ落ちた。かまどにも流れ込み、たちまち、白い煙がもうもうと上がった。恭也がとだえないように、懇切ていねいに火起こしてくれた焚き火をすっかり消してしまった。

「おぃい!や、やめてくれぇ!」
「意地でもこン中から動かないんだろ。お望みどおりにしてやる。このまま、運んでやっから」

ドラム缶を俵のように肩に斜め担ぎしたノーヴェが、そのまま、一歩、二歩と歩き出す。
缶はほぼ横倒しとなり、ほとんどの湯が流れ出てしまった。手ぬぐいで前を隠しただけの全裸に近いトーマが、缶の中で転がされている。目が回りそうだった。血の巡りが悪くなりそうだった。船酔いのような不快感が催してきた。

湯が流されるついでに這い出てきたスティードが、ノーヴェの頭上を旋回し、なんとか説得しようと試みるが…。

『ノーヴェさん、乱暴はいけません。せっかくの温泉気分が台無しですよ』
「うっせぇ。カメラの分際でつべこべ偉そうにいうな」
『ううむ。あいかわらず、姉上とは違い、気性穏やかならざる方ですね。もう少し口の利き方を…』

口の利き方を学ぶより先に手が出てしまうナカジマ家のやんちゃな六女は、生意気だとばかりに、スティードを片手で張り倒していた。一発でも強烈だったのにさらに、サンダルの裏でもしこたま蹴られた。大の字になって地面にのめりこみそうになっている、あはれ我が相棒。主人トーマとて打つ手はなし。スティードに、もはや抵抗の余地なし。

「仔犬とデバイスはしっかり躾とけって言ったろ。あいかわらず、無駄なおしゃべりだけ多い機械だな。マリーさんもよけいな性能をつけたもんだ」

片手で軽々と担いだ缶の中にはもう湯が残ってはいない。
少年の連続したくしゃみが、スティール缶の内部に響いてたわんだ音をさせた。

「風邪でもひかせると、姉貴に責められっからな。しゃーねーか」

缶の底が地面に降ろされた。やっと、頭のてっぺんと足の先、上下が安定した状態。
ほっとしたのもつかの間。頭上から、浴衣一式が降ってきた。ノーヴェが椅子の上に置かれた着替えを無造作に投げ込んだのだ。

「五秒で着替えな。それ以上はびた一秒たりとも待たねぇ」

缶に背中を預けたまま、腕組みをしてノーヴェが素っ気なく命令した。

トーマは、はじめて袖を通す浴衣の着方がわからずにいた。
白絣の着物の袷はどちらを前に出すか、黒い横縞の兵児帯はどう巻くのかをまごついているうちに、けっきょく缶の中での着付けは二分を費やしてしまった。真新しい浴衣の袖は、湯上がりの汗とすすりあげる鼻水を吸ってはいたが、ぱりっとして着心地のよろしいものだった。



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