陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

神災と逃げ猫

2009-01-18 | 芸術・文化・科学・歴史



昨年も書こうと思っていて忘れておりました。昨日のうちに書くべき記事だったかしらと反省しつつ、なぜ今日になって書く気になったかというと。新日曜美術館で菱田春草の絵を見たからです。

忘れもしない十四年前の一月十七日。まだ夜明け前だったかと思います。
四階の子供部屋で寝ていると、床からどーんと突き上げるような衝撃がおこり、慌てて飛び起きました。高所にあるのでひときわ揺れをおおきく感じます。本棚も斜めに倒れていましたが、近くで寝ていた者はさいわい下敷きにならずにすみました。これが頭の近くのおおきなタンスだったらと思えばぞっとしましたが。
二階に降りてみると、両親が起きていて台所に散らばった食器の破片の片づけをしていました。海際の古い家屋では倒壊して死傷者も出たとか出なかったという話。その日、私たち家族はふつうに学校に通い、仕事に出かけたのでした。

この地震が二〇世紀日本の最大の災厄のひとつとされる大震災と知ったのは、その日以降、テレビで続々と報じられる被害のおぞましさを通じてでした。高校の美術の先生のお知り合いのピアニストの方も亡くなったと聞きました。結婚前に神戸に住んだことがあったという母は、故郷に戻っておいてよかったとこぼしておりました。
私は当時、生徒会に所属していて、神戸の受験生におくるための文房具などの救援物資の輸送を手伝いました。センター試験や成人式が終わってまもなくのこと、希望を抱いて勉学にいそしんでいたのに夢を断たれてしまった方も多かったのではないでしょうか。
この震災がすでに末期をむかえていたバブル景気に追い討ちをかけて、平成不況へと滑り出す日本に打撃をあたえたともいえるのでしょう。

地震そのものは天災であるけれども、その後の行政支援の遅れから生じた被災者の貧困は、人災であるという主張もあります。市民運動家の小田実らはこの窮状をうったえて、被災者の生活の改善に尽力したと聞きました。

この状況が似ているなと思ったのが、年越し派遣村。
現場を見たわけではないのでわかりませんけれど、派遣切りされたのではなさそうな人もいたとか、いないとか。そもそもわずかに用意されたのは五百人ほどの食糧のみ。日比谷公園にたどりつけなかった総勢二五〇万人の失業者は、どうなったのでしょう。政治利用されているという指摘も。
住む場所もないほど貯金がないのはおかしい、酒やギャンブルに使い果たした自堕落な生活が原因という批難もあります。しかし、製造業の寮付き派遣では、法外な寮費、光熱費を搾取され、正社員なら無料か安価な食事も高い料金を払わされるので給料は残らないことも。雇用保険にも入れないので、失業保険もうけとれない。

神と名のつく街を中心とした地震も、いまだ有効な手だてのみえない世界的な不況も、ひとが不可抗力で逃れようもない災いと叫べば天災となり、またいっぽうで国に責任転嫁しようとすれば人災となる。
派遣切りの問題をいちぶの責任感のない生き方をえらんだ者の成れの果てとさげずむことは、阪神大震災を自分には遠い地域の惨事だととらえているのと似ているような気もします。政治家や、組合費を払える正社員のことだけ念頭においている連合などの労働団体、そして取材する記者やタレントも、学者先生もどこか他人ごとのような高見の物言い。


ところで、阪神大震災をなぜ菱田春草の絵で思い出したかといいますと。実家で買っていた黒猫がその日以来、消えてしまったからなのです。野良猫の出のわりに毛並みと瞳がきれいな猫で、家でも母親にべったりなほど甘えん坊の男の子だったのですが…。その後、外に出て一匹でたくましく生きていてくれたのでしょうか。


【画像】
菱田春草(1874-1911)『黒き猫』(部分)1910年、永青文庫所有・熊本県立美術館寄託(重要文化財)



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4 Comments

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愛されて育ったオス猫は己が天命を知る (Ms gekkouinn)
2009-01-18 23:36:12
あの震災の後、支援物資を被災地に届けて戻る空のトラックに家財道具を積んで首都から離れた一人です。震災後、地震災害時の被害想定と対応策の情報公開を求めて奔走した後のことですが、以後、生き方を変えて今日に至っております。今年、震災のことを初めてブログにアップしないことにしたのですが、その理由を書くと空しくなるばかり。


>実家で買っていた黒猫がその日以来、消えてしまったからなのです。野良猫の出のわりに毛並みと瞳がきれいな猫で、家でも母親にべったりなほど甘えん坊の男の子だったのですが…。

大丈夫ですよ、万葉樹さん。オス猫はいかに甘えっこでも、イザというときここ一番というときには、今日日の日本のヒト科のオスと違って、雄としての己が責任感と使命感に目覚め仲間の安否を気遣い仲間たちのために自分が果たすべき役割に目覚めたのだろうとお察しいたします。地域にはそういう雄雄しいオス猫がリーダーとなって猫社会を守っているのです。

>その後、外に出て一匹でたくましく生きていてくれたのでしょうか

間違いなく、彼はたくましく生きました。万葉樹さんのお母様や万葉樹さんの笑顔を脳裏に焼き付けながらオス猫としての天命を生き天寿を全うしたと、不思議ではありますけれど、はっきりと感じさせられます。ご案じにならず信じてあげてくださいね。

菱田春草の黒猫は我が家にも飾られています。複製画ですけれど。

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Unknown (nana)
2009-01-19 00:11:49
私も実害こそありませんでしたが中越地震の時は伊香保からの帰途で丁度長岡~中ノ島間を走っていました。
最初は風?なんて思いましたが大きく車が蛇行して。
周りの車も路肩に止まったりして下回りを覗いたりしていました。
すぐに中ノ島ICで降りましたが料金所の渋滞待ちでトラックやバスが余震で大揺れ。
本当に怖かった。
それから起こった能登沖地震、前日白川郷などを観光して当日は滑川のほたるいかミュージアムにいました。
暗いライブシアターで始まるのを待っていたときに大揺れ。
ほとんどの客はシアターの仕掛けだと思っていましたが実は地震の揺れでした。

それから半年、中越沖地震、自宅近くの道路で信号待ち。
またまた大風かと思いましたが周囲に停めてある自動車が揺れているので地震だと認識。
すぐに自宅に戻ってTVを見ると悲惨な光景が・・・・

本当に当事者の皆様は大変だろうと思います。
私は何もできませんが事あるごとにブログで被災地の様子を紹介したりとして風化させないように務めるように、なんて思っています。
返信する
黒猫の絵と震災の教訓 (万葉樹)
2009-01-19 08:07:56
ごきげんよう、月光院さま。コメント有難うございます。

そういえば、昨年、そちら様の震災の記事にコメント寄せた記憶がありますね。テレビでトラックを借りて身銭を切って支援物資を送った方(女性)のことをとりあげた番組があったのを思い出しました。
私が参加したチャリティーはある意味、学校からのお仕着せ(もちろん、それを発案された生徒会の顧問の先生をとても尊敬していたので喜んで手伝いました)だったと言えなくもなく。自発的に支援活動に奔走された方には頭が下がるばかりです。

今回の派遣村にしても支援金が寄せられたりボランティアの活躍もありますが。HPをみれば二千万円も義捐金が集まったわりに、救えたのは五百人を一週間ほどだけ。
疑うわけではありませんが、けっきょく活動資金としてメンバーの懐に入った、もしくは政治と癒着しているプロ乞食ととられても致し方ないのかも。

私が知らないだけかもしれませんが、大震災のとき何万といたであろう被災者は、公共の場を明け渡せと乱暴に吠えただろうか、そしてまた、部外者は住む場所もない弱者をあれほど叩いて平然としていただろうか、と思うばかりです。

もし、こんな不況下で政府もまともに機能していない状況で、あの震災レベルの災害がおこったら、国に助けてもらうなんて甘い考えは棄てたほうがよさそうですね。とくに確実に年金や税金の生涯支払いでは大幅な損をする三〇代以下の世代は、肝に銘じておいたほうがよさそうです。豊かな親にももう頼れないぞと。

>日本のヒト科のオスと違って、雄としての己が責任感と使命感に目覚め仲間の安否を気遣い仲間たちのために自分が果たすべき役割に目覚めたのだろうとお察しいたします。地域にはそういう雄雄しいオス猫がリーダーとなって猫社会を守っているのです。

猫ってあまり群れて行動しないような印象があるのですが、どうなのでしょう?ああ、でも近所付きあいのきびしい地域に買われている猫は、人間を見習って連帯感が強いのかもしれませんね。なぜか、むかしNHKの人形劇で猫が主役の番組を思い出してしまいました(謎)

>間違いなく、彼はたくましく生きました。万葉樹さんのお母様や万葉樹さんの笑顔を脳裏に焼き付けながらオス猫としての天命を生き天寿を全うしたと、

うちのクロヒコ(その黒猫の名前)はどうなんでしょうねえ(プチ疑惑)
成人しても次に生まれた妹たちを押しのけて、母猫のお乳にすがりついてましたけど。リーダーの器ではなくて、いじめられて泣いて帰ってきそうな男の子のような気が…。ちなみになぜかうちで買われるオスはこんなんばっかでした(苦笑)

迫害してはもちろんいなかったですが、かなり揺れて食器も割れたので、この家にいたら危ないと踏んで逃げ出しちゃったというのが、当時の家族の見解。
じつはその後、近くの溝で黒猫が…という目撃情報もあったらしくて。ちなみに、なぜその黒猫にこだわるかといいますと、まだ理由があるのですが、ここでは割愛。

>菱田春草の黒猫は我が家にも飾られています。複製画ですけれど。

晩年に近い作品なんですよね。でもなぜ猫なんでしょう。
去年、仕事でタペストリーの柄選びをしていたときに動物が描かれたものを選んだら売れないと、馬鹿にしたように言われ。殿方との感覚が違うのかとも思いましたが。

虎とか龍とかいかめしいモチーフでなく日常的な愛玩物をえらんだことに、猫の瞳を正面からみつめたあたりに、画家の目線の低さを感じます。
室内の飾り物として、個人的な心情を含ませたのでしょう。名画「落ち葉」と同様、志は高くともからだが病でおとろえ、地上近くの物しかふれられなかった状況を想像させますね。

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震災の傷あと (万葉樹)
2009-01-19 08:09:24
ごきげんよう、nanaさま。
今年もコメントありがとうございます。本年もよろしければおつきあい下さいませ。

車を運転中とか外出中の地震というのも恐いですね。
あの大震災ほどではないですが、むかし派遣ではたらいていた勤務先でおおきな揺れがあり、慌ててみんなが床に伏せたということがありました。

定期的に地震のある地域ですと、たぶん日ごろから防災意識は高いのだと思われますけれど。十年も時が経てばどんな悲惨なできごとも忘れてしまうのですよね。それを部外者として接した人間ならば。

>本当に当事者の皆様は大変だろうと思います。
私は何もできませんが事あるごとにブログで被災地の様子を紹介したりとして風化させないように務めるように、

去年岡山でおきた事件だったかもしれません。震災で家業の工場が傾いたので、大阪に移転して派遣労働者になった両親。家計がくるしいので進学を断念した息子が、凶行に走ったという。
震災だけが原因というわけではないですが、九〇年代後半以降の経済的もしくは心身の安全神話の崩壊はすさまじいものがあります。

自分の慈善行為をほのめかすことは、いまだ痛手をこうむっている被災者、もしくはその関係者の方に失礼なのではと思われるのですけれど。それでも、やはり惨事を風化せないためにできることをするのはまちがいではないと思います。

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