ブログをはじめて十数年間で驚くような訃報に接することがあります。
2024年3月初旬に世界を駆け巡った悲しみのニュースは、「ドラゴンボール」で知られる国民的漫画家・鳥山明先生の急逝でした。3月1日、急性硬膜下血腫のため永眠、享年68歳。
3月9日付の日経新聞朝刊にも記事がありました。
早起きが苦手で入社したデザイン会社を退社、漫画をほとんど読まなかったが、たまたま喫茶店にあった漫画雑誌から新人賞に応募。1978年にデビューし、アニメ化で大人気を博した「Dr.スランプ」が1980年スタート。82年には同作品で小学館漫画賞受賞。
いまや世界のだれもが知る代表作の「ドラゴンボール」が世に出たのは40年前の1984年。海外含め累計2億部部超えのベストセラー。2013年にはフランス・アングレーム国際漫画祭で40周年特別賞を受賞。
東京五輪の選手入場曲にも採用されたゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズのキャラデザとしても活躍。後進の漫画家やクリエイターに多大な影響を与えてきた、と。
東映アニメーション社制作の映画は世界の興行収入が100億超えもあり、家庭用ゲーム機器のみならず、カードゲームやフィギュアなどで関連商品の売上も全世界で巨額にのぼるといいます。日本発のグローバルIP(知的財産)の代表格というべきもの。
鳥山氏といえば、のちに集英社の編集長になる担当の鳥嶋氏とのエピソードが有名。「Dr.スランプ」の主人公は怪力少女アラレちゃんではなく、本人の意向では、せんべえ博士だったとか。周囲をふりまわす破天荒なロボットの女の子の原型はここからかも。
「ドラゴンボール」は「セーラームーン」ともども、私の青春時代を彩った思い出の作品。よく二次創作絵を描いていました(今は残していない)。新作シリーズも準備中と聞きますし、まさか、こんなに地球規模でヒットして息の長い作品になるとは思いだにせず。
「ドラゴンボール」の単行本、人造人間編までは集めていたのですが、魔人ブウあたりから世代交代して読んでいません。なので、本編の最終回も、そのあとのアニメのシリーズ(GTとかの)もほとんど観たことがありません。スーパーサイヤ人の第三形態とか、悟空とベジータとがヒュージョンしてどうたら、とかキャラの外観が変わりすぎたのと、インフレが激しすぎてついていけなくなったもので。
「ドラゴンボール」って、現在の話題作の漫画(「進撃の巨人」とか「鬼滅の刃」とか)と比較すると、さほど思想や主張がうるさくない、単純なバトルものなので、全年齢的に読みやすくて、そこが世界的に受けたのかもしれませんね。ただ、大人になった今の私は、いまさら読み直したいかといいましたら、そうでもないです。漫画というよりは、鳥山氏の絵のうまさを眺める画集みたいなものだったかもしれません。伏線を緻密にはりめぐらす作品ではないので、現代でも、脳が疲れにくく読めるビジネスマン向きの漫画ともいえますね。主人公は絶対に勝つわけですから。
「ドラゴンボール」で好きなキャラは悟空でしたが。
私のオタ友だち間では意外と人造人間18号だとか、チチさんとか、女子キャラも好評でした。ブルマやランチさんも含め、女性キャラはセクシーなのにいやらしくないんですよね。私は人造人間16号だとか、悟飯を托卵されてZ戦士教育するピッコロさんもけっこう萌えていたり。クリリンも最初は嫌味なキャラだったのに、殺されたら(よく考えたら、フリーザ編までで二度死んでますよね…)悟空が激昂するぐらいの親友ポジになったのも、感慨深いものがあります。
「ドラゴンボール」で印象に残っているエピソードは。
1.天下一武道会で亀仙人に敗れた水を求める男
2.ピッコロ大魔王を破ったときに涙する悟空
3.悪魔光線を受けても動じない悟空の純粋さ
あとアニメの特番であった悟空父のバーダックさんの話と、未来世界のトランクス少年と片腕のない悟飯のエピソード。短い話ですが、けっこう好きです。いまの作品だとこういったサイドストーリーは公式スピンオフと呼ばれて、ひそかな耳目を集めたり、二次創作愛好者にとってはおいしいネタですよね~
コミュニケーションが苦手なオタク気質の子どもたちは、同じ作品を語り合うことで親交を深めていたのです。
90年代のあの頃、この作品があったおかげで、友だち関係が維持できた私にとりましては、実に人生に刻まれた一作であったことでしょう。
(2024.4.18)