最近、とある広告がネット上で物議を醸しました。
阪急電鉄の中つり広告で働く人の言葉を紹介した文章。「毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか」という80代研究者の言葉。通勤電車でこの文面を目にした勤労者の皆さんの怒りが湧くのもごもっとも。私のような就職氷河期世代ではいまだ非正規労働者も多く、またフリーランスで収入不安定なひとや、地方の中小企業勤務では長時間労働なのに手取りが20万円もない正社員もいます。褒められたものではありませんが、自分より恵まれた環境にいる、得をしている人は許せないという声は一定数あるもので、不適切だったと言わざるを得ません。まあ、経済誌などを読んでいたら年収1000万世帯層向けの記事がありまして、精神をえぐられることはしょっちゅうです(笑)。能力のある人が稼ぐのはあたりまえなのですが、経済成長と働きざかり時代が重なってうまく生活できた高齢層と、働いても働いても貯蓄すらままならず、年金も頼み薄の現在の40代以下とでは、仕事に対する感覚がことなってくることもあるでしょう。
この広告は本来、働く人を応援するメッセージであったはずですが。
なんとなくサービス残業、午前様帰宅あたりまえの昭和のモーレツ社員を連想させて、うすら寒い思いさえします。育児介護休業法で認められているはずの、育児休暇を取得した父親が復職後すぐに転勤を命じられ、退職を余儀なくされるという事例も発覚しました。これでは結婚したい、子どもをもちたいという働き手が減っていくばかりです。
つい先日、年金受給額が物価上昇率を反映しまして、0.1パーセント増額とされました。
いまの年金受給世代、とくに被用者だった方の厚生年金の標準報酬月額の再評価率はかなりお得にできています。われわれ現在の現役世代の社会保険料負担割合からすれば。世代間の不均衡もさることながら、一番優遇されすぎているのは、高額所得者の専業主婦(第三号被保険者は国民年金保険料を自己負担していない)なのです。現在の若年層夫婦では共働きが増えていることを考えれば、政治家、公務員、会社経営者などの高給取りを配偶者にしたひとだけが働かずとも年金が得られる仕組みは、自営業や非正規労働者たちの配偶者との格差がおおきく不満がありますので、そろそろ年金制度の再設計が必要なのかもしれません。
私事ですが、ここ最近、契約書の作成や交渉があってストレス満載でした。
取引先のひとつである、某事業主さんとは数年前からの付き合い。初回の契約時はかなり難航しましたが、信義篤実に協議できる方だったので良好な関係を保っています。相手がきちんとお支払いしてくださる方だからこその信頼関係ですね。
聞けばこの事業主さんは、すでに70歳超えの男性なのですが、とてもそうは見えない。
もともと保険会社の営業をしていたそうで、私のような年下の生意気盛りにも腰が低く、こちらの疑問点には明瞭な回答をくださいます。医療法人や寺社仏閣関連との取引があるようで、この人ならたしかに信頼されるだろうなと思わせる人物ぶりです。ほぼ同年齢の奥様も定年退職後に契約職員として勤務されているようです。
この事業主さんいわく、知り合いからの紹介で本業とは別の代理手続き業務をおこなっているとのことでした。本業については体力の限界もあるので契約先を減らしてはいるが、働けるうちは現役でいたいとのこと。人手不足な現在ではあっても、50代でハローワーク通いしても雇用のミスマッチで紹介されない人もいるらしいです。70歳を超えても、仕事の引き合いがあり、若い人に混じって頭を下げてでも働けるのはありがたい、とおっしゃられている。その姿勢にはおおいに学ぶものがありました。雇用保険では高齢者向けの高年齢雇用継続給付などが充実していますが、厚生年金ほど老後の保障が手厚くはない自営業者には厳しい状況であります。
私自身もまずまずの難度の士業の資格が三種ほどあり、本業の個人事業とともに会社員としての再就職が叶ったものの、両立にはかなり苦心しています。会社員には向かないのかなと思ったりもします。仕事以外にも、昨年の風水害による家屋の修繕などの心理的負荷が大きい課題があったり。取引先も苦境がありますので、いまの収入がこのまま続く見込みはありません。しかし、誰もが生きていくための苦難を噛みしめています。
高齢者や女性、あるいは引きこもりや障害を抱えるひとを社会復帰させようとする流れが叫ばれているのはとてもよいことです。
それは労働の最前線にいないことを批判するためではなく、多少なりともからだを動かすことが心身の健康寿命を延ばすことにつながるからです。子育てに専念するために職場を離脱した女性のうち、警察官や薬剤師、医師、看護師や保育士でも50歳近くになって再就職を果たしているひともいます。公務員を定年退職して農業をしている人もいます。資格を活かして開業しているひともいるでしょう。在宅ワークで就労したいひともいるでしょう。昔の農家さんは閑散期には土木工事などの手伝いにいっていたようですし、主婦でも自宅で縫製などの内職仕事をするひとも多かったものです。
隠居ができる年齢になったのに働かせられるなんて酷だという意見もあるかもしれません。
しかし、実際、70歳になっても働きつづけられるのは理想的な社会です。体力が落ちた高齢者や女性、社会復帰を目指すひとにあわせた、やさしくバリアフリーな労働環境を心がければ、過労死が防げるようなゆったりした働き方ができるかもしれません。これからは外国人労働者が増えるので、閉鎖的な日本であっても異国への理解は深まらざるを得ませんし、語学能力はもちろんですが明確に自分の意思を相手に伝える思いやりがないと協働できないのです。パワハラや長時間労働を是正すれば、会社に失望して働けなくなった引きこもりやメンタル不全のひとにも、生きる道が開かれるはずです。
いつまでも働くというのは、なにも会社に勤めたり起業したりだけではないはずです。
生活に余裕があるシニアならば、ボランティアで通学路の見回りをすれば児童をねらった悲しい事件は防げるのかもしれないですし。教員経験がある人が塾や予備校に通えない子どもたちに勉強を教えたり、育児を手助けしたりすれば、どれほど多くの現役世代が喜ぶでしょうか。暮らしに余裕がないシングルマザー・ファザーも大助かりです。教育者は親世帯の裕福さや学業成績で教え子を差別しがちですが、教師経験者が家庭に困難を抱えたひとのサポートをしてくれたら、働きづめの現役教師の負担も減りますし、教育格差もなくなるのかもしれません。とくに学歴が高くて優秀な女性が専業主婦のまま家でいるのは、実にもったいないですよね。家族以外の人と会わない生活をしていると、対人能力が落ちて、ささいなことにも怒りやすくなりませんか。娯楽を消費して憂さ晴らししても、現実社会では生きていないという感覚が腹の底にあって、虚しさを感じざるを得ないのです。
日本だけではないのでしょうが、年収や職業で人を格付けするのは好ましくはありません。
雨の日も風の日も新聞や郵便物を届けてくれる配達員のおかげで、ネットのみではない情報や便りが得られますし、独り暮らしならば孤独死孤立死を防いでくれるかもしれません。介護職員の過酷な労働が報じられますが、在宅介護サービスの訪問によって、家庭内に生じる諸問題(セルフネグレクトする単身者、あるいは高齢親と自立できない子ども)があきらかになることもあります。
大企業の会社役員だから、医師、研究者や士業、作家などのセンセイ業だからではなく。
どんな職業であってもありがたいと思い、世の中に何らかの働きかけができれば生きがいが生まれます。批判されがちな生活保護受給者についても、近所や公園などの清掃などのボランティアをしてもらい、地域の中で居場所と役割が得られることで生きていく自信がつくのではないでしょうか。いちばん弱いひとでも働きつづけられる、幸せな世の中になってほしい。
それにしても、ここ近年、人生の先輩格の事業主さん含め、知人や親族が鬼籍に入ってしまうことは多いです。
どんなに目立たない仕事であっても、そのひとの人生には裏打ちされた哲学があります。なるたけ元気なうちに、お会いできるうちに話をしておかなければならないという気持ちをいっそう強くしたのでした。