「そう。よかった、じゃあね、ちょっと待って」
姫子はふたたびボストンバッグの中身を漁っていた。今度はいったい、なにを取り出すのだろう。姫子の鞄からはいろいろな手品のしかけがでてきそうだった。私を幸福にするという魔術のしかけが。バックのなかから取り出されたものが、床に置かれていった。私は両膝をついて、そのひとつひとつを拾いあげては、ていねいに確かめた。
「姫子、こんなものまでわざわざ持ってきたの?」
「だって千歌音ちゃんとの想い出と離れたくなかったから」
あの漫画のコミックスは、姫子といっしょにサインをもらったレーコという漫画家のもの。そのCDは去年の誕生日にふたりだけの夜会で即興でプレゼントした私のピアノ弾奏を収録したもの。
姫子のバッグには、懐かしい日本の生活の匂いが詰まっていた。私たちがつみあげてきた愛おしい日々が。彼女は過去をおみやげにしてくれたのだった。
かばんの中をほぼ半分は放り出したところで、やっとお目当てのものは見つかったらしい。これも、奥深く隠していたようだった。
「ハイ,これ!」
威勢のいい声とともに、姫子からさしだされたのはビニールコーティングされた線香花火のセット。
異国では見られない日本の夏の家庭の風物詩だった。米国には派手な打ち上げ花火は売っているが、線香花火は辛気くさくて煙たがられているのか、見かけない。テロがあったのは昨日なのに、よく空港の手荷物検査でひっかからなかったものだと感心する。姫子は、私との想い出づくりのために、いろんな偶然をかさねそうな力がある。不可分にもそう考えてしまう。
「千歌音ちゃんは線香花火したことある?」
「いいえ。残念ながらないの」
「ああ、よかった。じゃあ、はじめての線香花火だね?」
両親の海外出張が多くふつうの家族の想い出にとぼしい私には、無縁の遊び道具だった。さすがにライターやマッチも扱えないほど世間知らずではないけれど、メイドたちによって危険なものは遠ざけられて育ってきた。
幼い頃楽しみにしていた木登りしての読書が禁じられてしまったのは、いつからだったろうか。乙羽さんとお風呂ではしゃぎながらしゃぼん玉づくりに熱中して浴室を泡だらけにしてしまい、お爺様のお目玉をくらったのは小学校にあがる前だった。
その頃から私の気散じは、父の書斎にある文学全集や、買い与えられた馬や、武術や社交界の話題づくりとしてのテニスに変わっていたのだった。私にとって、こうした上品な趣味は、習うもので学ぶもので、いわば教養だった。好きだとか楽しいという子どものような手あかのついていない感情には乏しいものだった。そして、その最たるものが、ピアノだったといえる。
姫子はふたたびボストンバッグの中身を漁っていた。今度はいったい、なにを取り出すのだろう。姫子の鞄からはいろいろな手品のしかけがでてきそうだった。私を幸福にするという魔術のしかけが。バックのなかから取り出されたものが、床に置かれていった。私は両膝をついて、そのひとつひとつを拾いあげては、ていねいに確かめた。
「姫子、こんなものまでわざわざ持ってきたの?」
「だって千歌音ちゃんとの想い出と離れたくなかったから」
あの漫画のコミックスは、姫子といっしょにサインをもらったレーコという漫画家のもの。そのCDは去年の誕生日にふたりだけの夜会で即興でプレゼントした私のピアノ弾奏を収録したもの。
姫子のバッグには、懐かしい日本の生活の匂いが詰まっていた。私たちがつみあげてきた愛おしい日々が。彼女は過去をおみやげにしてくれたのだった。
かばんの中をほぼ半分は放り出したところで、やっとお目当てのものは見つかったらしい。これも、奥深く隠していたようだった。
「ハイ,これ!」
威勢のいい声とともに、姫子からさしだされたのはビニールコーティングされた線香花火のセット。
異国では見られない日本の夏の家庭の風物詩だった。米国には派手な打ち上げ花火は売っているが、線香花火は辛気くさくて煙たがられているのか、見かけない。テロがあったのは昨日なのに、よく空港の手荷物検査でひっかからなかったものだと感心する。姫子は、私との想い出づくりのために、いろんな偶然をかさねそうな力がある。不可分にもそう考えてしまう。
「千歌音ちゃんは線香花火したことある?」
「いいえ。残念ながらないの」
「ああ、よかった。じゃあ、はじめての線香花火だね?」
両親の海外出張が多くふつうの家族の想い出にとぼしい私には、無縁の遊び道具だった。さすがにライターやマッチも扱えないほど世間知らずではないけれど、メイドたちによって危険なものは遠ざけられて育ってきた。
幼い頃楽しみにしていた木登りしての読書が禁じられてしまったのは、いつからだったろうか。乙羽さんとお風呂ではしゃぎながらしゃぼん玉づくりに熱中して浴室を泡だらけにしてしまい、お爺様のお目玉をくらったのは小学校にあがる前だった。
その頃から私の気散じは、父の書斎にある文学全集や、買い与えられた馬や、武術や社交界の話題づくりとしてのテニスに変わっていたのだった。私にとって、こうした上品な趣味は、習うもので学ぶもので、いわば教養だった。好きだとか楽しいという子どものような手あかのついていない感情には乏しいものだった。そして、その最たるものが、ピアノだったといえる。