雨は降らないのに蒸し暑い今日この頃。
今朝は30年ぶりぐらいに曽根古墳に寄ってみた
看板を読んでみると、この愛知では珍しい縄文中期の住居跡だたかいてある、実際はもっと広い遺構だが3分の2ほどは畑になってしまっている、この当時の教育委員会の遺構に対して彼らの重要度はこんなものかと思ってしまった。
また竪穴住居の遺構は樹脂で固められているために何んとも臨場感がない。
それでも高槻市の古墳群の上に住宅を作ってしまうよりかいいか?
雨は降らないのに蒸し暑い今日この頃。
今朝は30年ぶりぐらいに曽根古墳に寄ってみた
看板を読んでみると、この愛知では珍しい縄文中期の住居跡だたかいてある、実際はもっと広い遺構だが3分の2ほどは畑になってしまっている、この当時の教育委員会の遺構に対して彼らの重要度はこんなものかと思ってしまった。
また竪穴住居の遺構は樹脂で固められているために何んとも臨場感がない。
それでも高槻市の古墳群の上に住宅を作ってしまうよりかいいか?