あんなこと、こんなこと

お出かけしたり、食べたりしたことを記事にしてましたが、最近は出かけることもなくなり、家にこもっています。

知らない所を歩いてみよう

2020-12-26 18:20:55 | お出かけ 大阪

11月最後の日曜、大阪から出ない方がいいよねということで歴史ありそうな知らない所を歩くことにしました

場所はOsaka Metro今里筋線のだいどう豊里駅と瑞光四丁目駅の間辺り、大阪市東淀川区になります

まずは

近くの駐車場に停めてそこを起点にしました

栞より

元は大隅島、上中島にあたり、後の西成郡中島・大道の両村の範囲にあり、応神天皇22年(291)帝難波の地にみゆきしたまい、この大隅島に離宮を営んで宮居せられ、大隅宮と称しました。

応神天皇の崩御後、里人が帝の御徳をしたい、宮址に神祠を建て、帝を奉祀したのが起源と云われています。

淀川が氾濫した際、賀茂明神のご神体が漂着して霊光を放ちました。里人は喜び迎えて、産土神祠に合祀したものと思われます。社名を賀茂神祠(かものみやしろ)と改め、社殿を二つに分けて、一つは別雷大神を奉祀し、もう一つには応神天皇を合わせて八柱の神を合祀し、伊邪那美神社外七座社と称しました。

後に幾多の戦乱を経過したが、宝永4年(1707)宮寺曹洞宗大道寺の社僧大順がこれをなげき、村人達の協力を得て拝殿を再興しました。

明治4年(1871)大隅神社と改められました。

かなり古い神社なんですね~

境内

イチョウがまだ綺麗でした

拝殿

ご祭神は応神天皇・別雷大神・天児屋根命・市杵島姫神・伊邪那美神・天照皇大神・素戔嗚尊・豊受毘売神・大山咋神・宇賀御魂神・菅原道真公。

後にも他の神様が合祀されたんですね

行儀よく並んで

ご朱印

ちょっと淀川の方に行ってみます

南側

河川敷は何処かの野球チームのグラウンドみたいです

北側

川岸まで遠いですね

その方が氾濫しなくていいのかな

下に降りて次が

寂光寺(江口の君堂)

元久2年(1205)妙前光相比丘尼が開創。

本堂 正徳年間(1711~16)再建

ご本尊は十界大曼荼羅。

日蓮宗なので仏像ではないのですね

遊女江口の君と西行の歌問答で一夜を語り明かしたそうですよ~

問答歌は新古今和歌集に収められてるそうです

こちらはご朱印はありませんでした

歴史がある尼寺さんなんですが、なんか人を受け入れない感じに思えて残念。。。

同じ東淀川区ですが、ちょっと離れた場所へ向かって

崇禅寺 巽門

中には入らずに門の外からだけ・・・

10年前くらいに来たことがあるんですが、、、

天平年間(729~748)行基により開基されました。

嘉吉元年(1441)足利6代将軍義教が播磨守護赤松満祐に京都で殺害され、播磨へ逃げ落ちる途中、当寺に立ち寄り義教の首級を葬りました。

翌年、管領細川持賢から大伽藍と寺領の寄進を受け、義教と細川家の菩提寺として再興しました。

細川ガラシャが最後を遂げた後、細川家ゆかりの当寺に遺骨が埋葬されたそうです。

お墓もあるのでお参りできると思いますよ~

なかなか歴史があるお寺さんですね

芦田愛菜ちゃんの「たま」役、楽しみですね(*^-^*)

お参りに来てないのかな~

山門

 

県庁所在地址

明治2年(1869)3月4日、伽藍のひとつに摂津県の県庁舎が置かれましたが5月10日、豊崎県に代わり、8月2日に兵庫県に編入され県庁舎の使命を終えました。

兵庫県の時があったんですね!

小さな歴史探訪でした~

崇禅寺

 

コメント
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