「Unequal」ご来場ありがとうございました。
ホッと一息です。今回はわりと燃え尽きることもなく、日常を過ごせております。
さて、いわゆる、返し稽古のことを書きたくて最初はreverseを思ってました。
あのUNOに出てくるやつです。でもあれだと逆と言う意味になるし・・・。
ってことで、reviseを調べてみると「改める・改訂」という意味が出てきて「あ、これかな」と。
でも、念のために返し稽古でググってみると、繰り返しと言う意味の方が強く説明されていた…。
まあいい。よその稽古場はよその稽古場だし。
ウチの稽古場は、基本的に通し→返し→小返し→通し、っていう感じに本番前にはなります。
どんなことをやるかを記憶を元に辿ってみると…
1.振り付け、ミザンセーヌを決めます。基本的な俳優の動きや動線を決めていくのです。
まあ、動きの台本ですね。
2.動きの改訂と台詞の細分化をします。
これは具体的に書くと
「その立ち上がり方だと汚く見える」「それだと嫌ってるようにも見えてしまう」
これらは動きの問題ですね。
「そこは床の染みが気になります」
意識の方向性ですね。
台詞は例えば
「『なあに」だけど『な…アニ』って三点リーダ、点々点を入れて」
「『君を見つけたとたんに」の『とたん』はカタカナにして」
「『言わない』の『いわ』と『ない』の間に中黒(中点)を入れて『言わ・ない』にして」
「『僕は、悪い人間だ』の「、」を忘れてるからちゃんと入れて欲しいのと『悪い』の『わ』の母音あをしっかり出して」とか言います。
最後のは言ってませんが、母音を強調して欲しいというのは時折言います。
こまっかいなー、と一般の人は思われると思うんですけど、そのそれぞれに、それなりに理由があるんです。
最初の「・・・」とか「、」はなんとなく分かるかもしれませんが、カタカナとか母音になってくると感覚的な話です。
カタカナにすると少し台詞を早く読む感じがするのと、ちょっとふざけていたり明るい感じが出る気がします。
母音を出すと暖かい感じがしたり、そこにちょっとした思いを載せることが出来る気がします。
日本語って112音あるといわれていますけれど、台詞ってやっぱりその112音で人間性を表現していくものだからです。
あとは、ピアノをやっていた関係で音楽用語も出てきます。
「その台詞、入りはメゾピアノで」とか「その座るのはリタルダンドに」とか。
僕が思うに演出家のダメ出しは、細かく、かつ具体的であるべきだと思っています。
つまりディレクション=「指示」ですね。
そうじゃないと、創っていることにならない、と思うのです。
作り手の意図が明確でないと、そりゃあ何も伝わらないし届きません。
とはいえ、抽象的な指示になってしまうこともあります。
今回の「フィーリングの人たちが真夜中に乗り込んでくる」ところなんかは、日本じゃ考えられません。
私刑のほうが、法の裁きより怖いわけです。
暴動が、群集心理が恐ろしいわけです。
こういうのは「アラバマ物語」をみてください、とか「ミシシッピーバーニング」とか「遠い夜明け」とかそういう参考図書をみてもらったりします。
それでも分からない時は、しょうがないのでとにかく「怖がって」と。
でも言いながらものすごく敗北感を感じているのですけれど。
あと、返し稽古のダメ出しでついつい、複数言ってしまうのです。
昔、自転車キンクリートの鈴木裕美さんの演出コースを受けた時に言われた「俳優は三つも四つもダメだしを実現できない」といわれたことを忘れてしまうのです。
逆に、与えた振り付けとか指示とかを使って自由に俳優が遊んでくれる時には「俳優は子どもみたいなもんだ」という言葉を思い出し、最高にうれしいです。
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