クセノスというギリシャ語です。異邦人という意味です。
邦人の意味は「自国の人」です。
ニュースなどで外国に居る日本人のことを邦人と言うように、わが国の人ではない人のことを言うわけです。
ここのところが、多分僕の世界観と世間一般の世界観との違いなんだろうなあ、と演出家をやって分かってきたことです。
コスモポリタニズムというものがありますが、世界市民なんだよ、という感じに近いですね。
かつて演劇には思想や政治が関わってきた時代がありましたが、僕は政治には一切関わるつもりはありません。
妹に恋愛25歳から説を唱える場合に、被選挙権が与えられるのが25歳からだといって論拠にするくらいです。
もちろん日本は好きです。察しあう文化も好きです。自己主張をしない、語り合わない、議論しない文化もまた尊いと思います。
けれどもなんだか日本人は、とかわが国は、という言い方に論じ方に違和感がある。
結局、個人というか、世界の中では、地球の中ではそういう枠は関係ないよね、ということを強く思うのです。
昔、アメリカの戯曲をやったのに、ふるさとの鼻歌を登場人物に歌わせて、「何でだ?」と思われたお客様もおられたようなんですが、
僕にとっては「さもありなん」というか。作者自身(W.サローヤン)が移民でしたから、そして日本で上演するのでよいかと思ったのでした。
でも、違和感を感じさせてしまったのなら結果的には若干失敗なのかもしれません。
・・・・・・今回はちょっと書きたいことの周辺をぐるぐる回っている感じで、書ききれていないんですけど、
物語って、日本と外国とかそういう枠の外にある、枠の関係ない人間のドラマだからかな、って思うのです。
ロミオとジュリエットで描かれるように、キャピュレットだモンタギューだって枠から外れてしまえば、男と女。
好きになったら結婚できるはずなのかな、と。
うーん、ちょっと違うなあ。
異邦人と出会うことで日常から非日常へと移り変わる、ということと、上述の異邦人・邦人の別をなくした観察の上に人間というものの本質を見出すことが出来るんじゃないか、というか。
・・・まあ、こんな風に、書ききれない話題があってもよいのかもしれません。
生徒たちには、言葉を信頼して、あきらめずに言語化しろ、と言っているのですが、今日はこのあたりで。
また次に回ってきたときにもう少し分かりやすい話ができるよう、研究に精進します。
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