すみません。本当に久しぶりに、普通に忘れていました。
忙しいと言うのは嫌なので、毎日が充実していると言いながら、充実しすぎて忘れていました。
申し訳ありません。
さて、再び動詞です。
「獲得する」と言う意味です。
ちなみに、音響卓をのぞいていただくとこの「gain」というつまみがあります。
音と言うのは信号になってるので、そのまあ、入出力を調整する装置な訳ですね。
その信号の量を調整すると思ってください。
なので、ハウリング(あのキーーンていう高音)を起こしている時などに、あそこをすこーしいじると直ったりするので(実際には難しいが)音響さんを良く見ていたらいじってはるかも。
まあ、詳しくはお近くの音響さんに聞いてみてください。(笑)
その昔、RPG(ロールプレイングゲーム)に経験値が貯まっていくというシステムがありました。
(あ、僕は全くファミコンも何もゲームをやらなかったので、実際には知りません)
実人生でも経験値というか、いろんなものを獲得していくと思います。
中でも、物事の見方というかいろんな経験をすることによって得られた知見というのは何物にも変えがたいものがあります。
僕も10年演劇をやってみて、やっぱり獲得できた感覚があります。
今日はそれを書きたいな、と。
ずばり、演劇ってなぜか「続けるのか、やめるのか」という問いを自分自身で、あるいは周りから、したりされたりすることがあります。
30前になると特に。
先だって、とある戯曲塾の面接を受けた時に、「自分にとって演劇とはなんなのか」という問いを受けました。
結局受かって、その時一緒に受けた人とともに最初の授業を受けた時、ある人はその時答えられなかったことを気に病んで、ずーっと問い続けているらしいです。
僕は、プロデューサーズボイスで紹介されていたYOU企画の設立趣旨に絡めて、「日常の中の非日常」そして「そこにあるもの」としての演劇の話をしました。
演劇を始めた当時、僕には先輩方の取り組み方の真剣さというか、人生を捨てているようなその入り込み方に違和感を覚え、そうでなくても演劇をやれるんじゃないか、と思っていました。
でも演劇を始めて4、5年たつと「有名にならないと食えない。食えないと続けられない」とあせり、がっつき創作をしていた時期がありました。
当然余裕がなく、周囲にも迷惑をかけたと思います。
じゃあ、現在はというと…、初期の見方に戻ったと言うか、「演劇をあるべき位置に戻した」という感覚です。
つまり日常から演劇は創られているわけで、もちろん非日常的なコトが起こるからドラマになるのですが、基本は日常です。
きちんと日常を生きなければ演出家としては伸びませんし、演出家として日常を、世界を感じることは、そのまま良い創作につながっていくと思います。
お金がないと生きられませんが、きっと野の草花ぐらいのおしゃれは出来ますし、自然界で暮らす大勢の動植物たちぐらいの養分は得られます。
住むところだって、甲虫に木があるようになんとかなります。
そもそもお金を得るために演劇を創っているわけではありません。
ただただ演劇が創りたくなってしまうので、創っているだけです。
18歳の妹に、目の前の人々に知ってもらいたい物語があるから見せるのです。
絵を描くように、ピアノを弾くように、物語を奏でたいだけです。
なんだかそういう心境に至ることが出来てから、再び創作意欲がふつふつと沸いてきて、今5,6本企画を同時並行で進めていますが、あまり以前ほど焦らず出来ています。
やれないならやれないで今は仕方がないかな、と。
何億年かかろうとも創りたいものは創るけど、目の前の日常はしっかり生きよう、と思っています。
…じゃあ、ブログ更新忘れんなよっていうことなんですけどね。
やっぱり先週のように予約更新せねば。
次はHか・・・。
最近の「演出家の眼」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事