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F:find

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久し振りに動詞です。

ちなみに、長いセリフなどのときに「このセリフを一言の動詞で言うと?」と役者さんに聞いたりします。

あるいはシェイクスピアなど流麗なセリフを用いるシーンの場合にも「このシーンにおけるこの役の目的を一言の動詞で言ってください」とか言います。

これは、実はジェレミー・ストックウェルという俳優指導者のワークショップとそれからアメリカの台本読解の本に書いてあったのを応用しています。

要は、動詞というのは人を動かすのです。
例えば真夏の世の夢の場合、「(だれかを)追いかける:という動詞と「逃げる」という動詞で基本的なシーンが出来上がり、かつそのシーンはかつてなくアグレッシブで面白いものになります。

つまり動詞は演技のモチベーション足りうるのです。

さて、Find=「発見する」です。

この言葉は、僕のワークショップを受けたことのある人は聞いたことがあるかもしれません。

ワークショップの始めに言います。

「このワークショップでは教えることはしません。自分で発見して楽しむものです。だから最後にこのワークショップで発見したことを僕にも教えてくださいね。」と、言います。

演劇を創るっていうのは、要は実験の繰り返しであり、日常を客観的に再発見することのような気がします。

だからこのブログでも時々書いているように「日本語の授業が現在の教育に足りないから演劇を英語や国語に導入しろ」という案は、
こどもたちに、日本語や言葉、言語を用いる自分の思考自体を客観的に発見して欲しいのです。

俳優さんたちに「できるだけ日常を丁寧に生きて欲しい」と願うのは、
「その役ならどうするか、その芝居に関してのレンズで日常を見るとどう見えるのか」をいうことを発見して欲しいからであり、
僕自身、演出家として生きるということは、演出をしてお金をもらうということではなくて、ワークショップをしてお金をもらうということでもなくて、演劇それ自体を作る行為そのものでもなくて、「日常の中で演出家としての気づき・発見をどれだけたくさん出来るか」に関わっていると思うのです。

24時間、演出家として生きているのなら全てのことが演劇に結びついていきます。
これはきっと宗教家や政治家、弁護士、医者などすべてのことに言えるのかもしれません。
それは、母親、父親、兄、そんなことにもいえるのかもしれません。

今、三回目の戯曲を再創造しようとしています。
もはや発見はないかもしれません。

それでもやはり、あるのです。

今回は、若い役者とやることもあり、若干駆け足で読みあわせをしましたが、それでもなおたくさんの発見がありました。
本当に稽古が楽しみです。

「のだめカンタービレ」の映画を見ていて、千秋さん(演じる玉木さんは僕の1個下)が楽譜を前にして一生懸命勉強していました。
僕は、今回三回目なので(もちろん事前にきちんと勉強はするのはするのですよ)ほぼノープラン、ノー勉強で臨みました。

それでも、読む俳優が違い、31歳の僕が読むこの戯曲はまた、これまでの二回の作品とは全く様相を異ならせそうです。
実際、今回はこの戯曲は原作という捉え方で、この戯曲から始まって全く別の作品を創らんとしています。


加えて今年は、他に二作品を上演する予定であり、来年度発表予定の二作品の準備も進めているため、演出家としての発見が促されているのかもしれません。

とにかく今は1週間に1回の稽古ですがその発見の数は、稽古のない1週間が基になっているのかな、と思います。


余談ですが、稽古のときにお金がないのについつい買ってしまう缶コーヒー。
毎回異なるのを女優さんに“発見”されてしまいました。

実は僕、書いたかもしれませんが、帰り道でさえ毎回変えたいという性格。
もちろんコーヒーは毎回変えます。

そして、そのダイドーの自動販売機は当たりつきなんです。

え、運命には任せないんじゃないのかって?
もちろん、任せません。
もう一本あたれば、お得じゃないですか。
ただ、それだけです。

ちなみに、今日6時間の稽古で一番の発見は、その20歳の女優さん(高校で教えてた子なんです)が、劇中のとあるセリフを言ったことがあると言うことなんですけれども・・・、よく考えたらこれ、後で怒られるかもしれませんので守秘義務の範疇にします。
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