Re-Set by yoshioka ko

■沖縄から(その1)

 3日前から沖縄に来ている。沖縄は、実際のところ私の第2の「ふるさと」でもある。沖縄に教えられたり、鍛えられたりしたところも多い。それだけに、いまの沖縄を歩いたり、見たり、聞いたりしていると、いろいろな感情がわき起こってくる。しばらくは沖縄からの発信です。

 まず今日はこのニュースから。
《以下引用》
 「米陸軍軍属の息子の無職少年(19)が北谷町内の自宅マンションベランダから空気銃のようなものを発砲し、殺人未遂と器物損壊容疑で逮捕された事件で、少年は沖縄署の調べに対し、発砲の事実は認めたが、「人や車は狙っていない」と殺意を否認していることが十三日、分かった。これまでの調べでは、少年は自宅ベランダに空き缶などを置き、それらを標的に発砲したことを認めている」(3月13日『沖縄タイムス』)《引用ここまで》

 少年の手の届くところに、例え空気銃であったとしても置いておくという感覚が、アメリカ銃社会の写し鏡ではないか。家族も、それが当然と思っていたのかも知れない。

 実は沖縄では、こんな事件は残念ながら、ある意味日常茶飯事である。銃に限らず、軍用ヘリが墜落したり、兵士が乱暴狼藉を働いたり、そんな事件を数え上げればきりがない。この少年事件に対して、北谷町長は遺憾の意を述べ、那覇施設局や外務省に抗議した。そして「住民は以前から事件事故への漠然とした不安があった。米軍は良き隣人という言葉を使うが、このような事件が起きるとそうとは思えない」と怒りを表わす。

 国民の安全保障という最も基本的な義務について、普段日本本土にいては全く感ずることの出来ない出来事が、沖縄では日常の中で起きている。嘉手納基地への地対空誘導弾パトリオットや、最新鋭ステルス機F22Aなどの相次ぐ配備もそうである。

 沖縄の人々が「基地機能の強化が続き、これからも沖縄には軍の要員ばかりかその家族も増加する可能性がある。軍人、軍属とその家族に対する綱紀粛正を求めたい」と考えるのは当然である。だが、沖縄の人々のこの声は、本土に暮らす日本人には全く届かない。

 このように、日本の安全は、実は沖縄の人々の日常的に発生する軍や軍属、家族らが引き起こす「危険」の上に成り立っているのだ、ということを痛感する。そこにまた、普天間基地に変わる軍用ヘリ基地を、北部沖縄に移転・新設するというのである。

 日本の政治の中心東京から見れば、沖縄は南の島である。遠い。その遠い島の中心地、那覇から北にさらに離れた名護市、その中心からさらに東に離れた「辺野古(へのこ)」という寒村の村に、それは新設されようとしている。

 東京といわず日本本土に暮らしていれば、「辺野古」という言葉さえ聞かない。しかし、日本の安全はたった2000人足らずが暮らす地域の人々に支えられているのだ、という事実だけでも知って欲しいと思う。

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