ペルー公邸人質事件から10年、公邸を占拠したMRTAのメンバーは処刑されたのか?今日はその第二回目です。
【前回まで】
ペルー・リマ市の中心部にあるプレスビテロ・マティアス・マエストロ墓地。ここに4体の遺体が眠っている。彼らは日本大使公邸を占拠し、そして死んだ、テロリストと呼ばれた人々である。その中のひとり、ルス・ディナ・ビジョスラダ、通称シンシアと呼ばれる女性は19歳だった。シンシアの母は「勉強熱心で、働き者で、とても陽気な娘だった」と語る。
武力制圧から二年後。人質として囚われの身となっていた在ペルー日本大使館の一等書記官、小倉英敬氏の証言が波紋を広げる。武装した兵士らが突入してきたときに、殺さないで、と叫ぶシンシアの声を聞いた、というのだ。他にもそのとき無抵抗だった2人も処刑された、と小倉氏は証言する。
この小倉氏の証言は、テロリスト制圧作戦は成功だったと、内・外から賞賛された日本大使公邸占拠事件に、暗雲が漂わせることになった。
■『ペルー大使公邸占拠事件~ゲリラは処刑されたのか~』②
○元FBI対テロ担当官
FBI、アメリカ連邦捜査局で、
テロ対策に関わってきたロバート・タウバート氏。
現在、彼はコンサルティング会社の代表を務める。
○テネシー州にあるFBIの戦術爆破作戦訓練の写真
公邸占拠事件が起きたとき、
タウバート氏はペルー国家警察の一組織、
DINCOTE(ディンコテ)、
対テロ対策局に所属する三十人の局員を訓練中だった、という
○ロバート・タウバート氏
「これはペルー人の局員が車から飛び出して、
銃撃をするという訓練の様子です」
○訓練中のディンコテメンバー
六週間の訓練を終えたDINCOTEのメンバーは、
リマの空港から直接日本大使公邸に向かい、
そのまま突入作戦に参加したという。
○ロバート・タウバート氏
「ペルーなど中南米は
アメリカにとっては弱い脇腹なんです。
アメリカを攻撃しようとするグループから見れば、
そこはまさに出撃基地や隠れ家となるわけですからね」
○MRTAの旗
自国の安全保障のために、アメリカは、
ペルーの警察官や兵士らに対しても訓練を行ってきた。
そのペルーで事件が起きていた。
○フジモリ大統領国民向けメッセージ
「テロを手段とする限り、
われわれはいかなる和平や合意について
話し合うことは出来ない・・・」
○鉱山都市オロヤ(標高三八〇〇M)
フジモリ大統領の声明から
二週間たった一月五日、
鉱山労働者二十四人に呼び出しがかかった。
ボリビアとの国境にある鉱山で
土砂が崩れ、人身事故が発生したというのだ。
○鉱夫四人
だが、彼らが連れて行かれたところは
ボリビア国境の鉱山ではなく、
リマ市内にある陸軍特殊部隊の基地だった。
○鉱夫 ネメシオ・アリアガさん
「みんなも知っているように、
日本大使の公邸が占拠されたので、
お前たち鉱夫に働らいてもらうことになった、
と言うんだ」
○鉱夫 テオフィロ・ユパンキさん
「最初は十二メートルほどのトンネルで、
三~四日で終わる、終わったら帰っていい、
といわれたんだ」
○ノートに公邸図を書く
設計図はなかった。
トンネルの天井に穴を開け、
潜望鏡のようなものを使って掘り進んでいった。
途中に三カ所、兵士たちの出口も造られた。
全長八十メートルのトンネルは四十五日間で完成した。
○公邸レプリカ
リマの陸軍特殊部隊の基地の中には、
突入作戦に備えて、大使公邸と寸分違わぬ建物が造られていた。
○トンネル
敷地にはトンネルまで掘られていた。
特殊部隊がトンネルを使って、突入訓練を始めたのは
一月中旬のことだった。
○ホセ・サパタ突入隊長
「本物のトンネルは
もう少し高さも幅もありました。
トンネルを掘った鉱夫たちの役割は
非常に重要でした。
トンネルによりわれわれは
公邸に接近することが出来たからです」
○トンネル内
「このトンネルは居間と食堂に向かっています。
爆発物を仕掛けた場所に通じていたんです」(以下第三回に続く)
最新の画像もっと見る
最近の「テロとの戦争」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事