儀式といえばそうに違いないが、慌ただしさの中になにか希望が感じられる季節ではある。
借金はいずれ返せるとしても、これから先、一体村をどんな村にしていったらいいのか?その答えが出ないでいる。材木ブームが終わって久しいが、村の資源(といっても国有林ではあるが、その)木を中心に据えたら何が出来るのか?
金を使わないで、村を活性化させることなど本当に出来るのか?村の職員にも具体的なアイデャがあるわけではない。しかし、何かを探さなければ村の自律は覚束ない。焦りもある。縦割り行政の弊害もまだある。
もっと職員は外に出て歩かなきゃダメだ・・・。村の衆のこんな声も聞こえる。職員は外に出、村人たちの声を聞かなければ、いい考えなんか思いつかないぞ、といっているのだ。汗の流し方が足りない、と叱咤する声だ。
仕出し屋さんは、ここ2カ月ぐらいは地区の行事が続く、ということもあって、久しぶりに嬉し顔だった。歳出が押さえられた結果、村の行事や補助事業が大幅に減った。その分仕出し業に取っては痛手だった。村外に営業に出かけ、隣村で一仕事を得た。そんな折に地区から発注が来たのだ。嬉しいが、その先も今から考えなくっちゃね、とは仕出し屋さんの声。
日本の地方が抱える共通のことといってしまえば簡単だが、ひとつひとつの村にはそれぞれの歴史や文化、それに特徴がある。それをどのように生かしながら村作りをしていくのか、それをこの村も模索し始めている。
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