Re-Set by yoshioka ko

■ある韓国人遺族の「靖国神社」(最終回)

 なにかおかしな雲行きになってきた。
 秋の自民党総裁戦に向けて、靖国参拝問題が大きな影を落としそうだ。というのも、靖国参拝をするかしないかが、総裁にふさわしいか否かの決めてになりそうだからである。おかしなことである。

 そうでなくとも、ひとりの人物が招いた「駄々」が、思わぬ方向へと向かっている。その「駄々」を継承するというのである。党内のことで収まる話だったらまだ許せる。だが事実上、最大政党の総裁(つまりいまは自民党総裁)が首相になる日本の仕組みでは、これまで以上にアジア外交が閉ざされ、日本は孤立化の道を歩んでいかざるを得ない。

 参拝と外交は別物、といかに口説いたところで、そうは受け止められないところにこの問題の深さがある。そのことがなぜ分からないのか、本当に理解に苦しむ。もう少し識見のある政治家はいないのか、と溜息のひとつもつきたくなる話だ。

 『許嫁(いいなづけ)』の最終回。

  朝鮮人だった光山文博こと卓庚鉉は、なぜ日本武士の心、あるいは究極の自己犠牲の精神、とまでいわれた特攻隊に志願したのか、そして出撃前夜、なぜ彼は朝鮮民謡である『アリラン』を歌ったのか、それを推し量る正確な材料は私にはない。だが、本土決戦を前に過酷な戦争が続いていた沖縄に向かって、卓庚鉉が知覧を飛び立った特攻待機を操縦し、自らの命を戦場に散らしたのは事実だった。

 そしてもうひとつの事実は、戦後、厚生省が〈留守名簿〉のなかにあった卓庚鉉の名前の上に〈合祀済〉の印を押し靖国神社に手渡したことで、卓庚鉉は〈英霊〉となって合祀された、ということだ。

 日本人の目線で見れば、そういうことになる。しかし韓国人の目線に晒されれば、いうまでもなくまた別の見方になる。歴史の両面でもある。

 「解放後はいやというほどレッテルを貼られました。日本の戦争に協力したんだから仕方ないですよ。特攻隊に行ったといったらもっと親日派、日本のために戦死したといったら親日派・・・・。わたし、こんなこといってもいまでも親日派ですよ。NHKはよく見ます。演歌が好きですからね。それにニュースも・・・・。いつも日本のニュースを見ています。わたしは心底親日派ですよ」

 私は金玉姫さんが口にした〈親日派〉という最後の言葉を咀嚼してみた。

 日本の植民地となった朝鮮半島では、反日運動が盛んに起きた。だが、その一方で植民地支配に逆らうことなく生きる人々も、あるいはまた日本の支配に積極的に協力する人々もいた。だが朝鮮半島に住む人々の歴史では、前者を保護し後者は〈売国奴〉として切り捨てられてきた。民族の矜持や誇りがそうさせるのだろう。

 だが、もっと俯瞰的に、例えば日本の植民地支配というものあったからこそ反日も親日もあったのであって、そんなものがなければありえなかった、と想像すれば、彼らは等しく植民地支配の犠牲者だった、ということにもなる。つまり、反日も親日も、所詮は生きるために向かった先が正反対だった、ということに行き着く。

 韓国人である金玉姫さんにとってもうひとつ、親日派と批判される以上に切ないことは、『許嫁』であった故卓庚鉉さんの遺品さえ手にできないことである。いや遺品はやがて日本から返ってくるかも知れない。しかし、靖国神社に祀られた卓庚鉉さんの霊は決して返ってこない。「霊爾簿」からの氏名抹消は(これまでのところ)全くあり得ないことになっているからだ。

 このことは靖国神社に祀られる2万人ともいわれる韓国人遺族にとっても、共通の「切なさ」である。なぜならば、仏教のように分骨や位牌を分け合うこともできない儒教の国韓国では、魂は常にひとつだからである。靖国神社の「霊爾簿」に名前が記された以上、その名を抹消しない限り、父祖の地韓国に墓を作ることもできないのだ。

 植民地とされたばかりか日本が始めた戦争にも動員され、その戦争で犠牲となった韓国人は(旧厚生省の勝手な手続きによって)靖国神社に「合祀」されたまま今日に至っている。(終わり)

 

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