連休2日目の24日、こんにゃくパークを見学した後
パークから15分位の所にある「世界遺産・富岡製糸場」にも
立ち寄って来ました
近代日本を代表する建造物の富岡製糸場は1872年(明治5年)に
明治政府が主要輸出品である”生糸”の品質向上と増産のために
機械製糸技術を普及させる目的で設立した官営のモデル工場
★世界遺産登録認定証
世界的に価値が認められ2014年6月に世界遺産に登録
★富岡製糸場・正門
明治政府が造った官営工場の中でほぼ完全な形で残っているのは富岡製糸場だけだそうです
★まず最初に製糸場案内を見るのがおススメです
とても分かりやすく説明されているのでその後
場内を自由に見学するとぐ~と理解が深まります
★東繭倉庫(ひがしまゆそうこ)
東西にある繭倉庫は”繭”の保管場所に使われていました
★繭倉庫内部
★繰糸場(そうしじょ)入口・明治5年建築
繭(まゆ)から生糸を取る作業が行われていた場所
★繰糸場の内部
当初はフランス式繰糸器(糸を取る機械)が300釜が
設置され世界最大規模の製糸工場、中央に柱のない空間が
広がっていて長さは約140メートル
★屋根を支える骨組みは外国から新しく入ってきた「トランス」と言う方法を使っているそうです
※トランス・建材を三角形に組み合わせた造りのこと※
★写真が展示してありましたが当時はこんな感じだった様です
★現在は昭和40年代以降に設置された自動繰糸機保存されています
★首長官(ブリュナ館)富岡製糸場設立の中心となったフランス人
ポール・ブリュナが明治8年まで家族と住んでい建物
床下には地下室が今も残っています
★検査人官(今でいう事務所)・明治6年建築
生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居として建設
★女工館
糸取り技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居
★診療所と病棟
当時はフランス人医師が診療を担当していて治療費、薬代などの
医療費は工場側が全て負担していたようで好待遇の勤務だったんですね
★寄宿舎(寮)
寮は1棟につき16部屋あってその一つ一つの部屋は15畳あったそうです
★社宅
★富岡産生糸と正絹のネクタイ
★人気お土産品の”富岡シルク石鹸
店員さんいわく・・・・
乾燥肌の方には潤いを与えるんだそう、
で・・・3個お買い上げ!
女工さんと言えば歴史物語に出てくる奉公先で苦労すると言う話・・・
確か野麦峠の話は悲哀を感じますが、ここ富岡製糸場の女工さん達は
野麦峠の女工さんとは大分違っていた様です
各府県に人数を割り当てて士族の娘さんが集められ器機製糸を学び
のちに故郷に戻り技術指導に当たったようです
日本全国に建設された製糸工場に「繰糸」の方法を伝授する役割を果たしました
女工さん達の労働環境は充実していて当時としては先進的で
日曜日は休み、年末年始と夏季の10日ずつの休暇、1日8時間程度の
労働で食費、寮費、医療費は製糸場持ち、制服も貸与されました
富岡製糸場を見学するのは今回で二度目ですが
さすが世界遺産!
まだまだ多くの人で賑わっていました
※富岡製糸場※
群馬県富岡市富岡1-1
0274-64-0005
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