ももんが日記

そろそろ終活を考える、孤独なオバサンの独り言

封入作業

2015年11月28日 | 職歴
先日マイナンバー通知の封筒が届きました。

白い封筒を見て、この夏の苦い思い出をもう一つ思い出しました。

某デパートのお中元のアルバイトで苦い経験をした私は、懲りずに10日間の封入作業のアルバイトに申し込みました。

就業先は市役所。

派遣会社からのお仕事です。

派遣された人数は15、6人だったと思います。

3~5人ずつ5チームに分けての作業でした。

私はチームは全員で4人でしたが、初日は2人でのスタートとなりました。

30歳前後の女子Nさんと2人での作業です。

Nさんは、この仕事は2回目で普段は県庁に派遣されていると得意気に言っていました。

慣れているせいか、とにかく封筒を数えるのが早いのです。

銀行員さんがお札を数えるように封筒をパラパラと開き、あっという間に100の束を作り上げます。

私もそれをまねてやってみましたが、全然ダメです。

白い封筒が老眼にはとても見にくく、何度数えても101だったり99だったりと・・・それはそれはひどいもんです。

遅いなりにも頑張らなきゃと数えることに集中しました。

お互いに間違いがないか数えあったのですが、ほとんどNさん一人でやったようなものです。

そして数え終わった封筒を段ボールに詰めるのですが、これもNさんがサクサクと終わらせました。

とにかくすごいスピードです。

ふと周りのチームを見ると、ゆったりとしたペースでやっているように感じました。

9時~17時までの7時間一日が終わった時にはヘトヘトでした。

「ももんがさん。マイペースで大丈夫ですよ。私が早いだけなので・・」とNさんは言いました。

Nさんは10日間の作業のうち3日しか来ないとのことで、私のことを茶化したように班長と呼び始めました。



次の日、初めてくるSさんと2人での作業でした。

Sさんは普段書道の先生をしているらしく、字がとても綺麗で字だけではなく美人なうえスタイル抜群でした。

股下何センチなんだろうというぐらい足が長いのです。

ただ家からチャリで5分とか言ってたのに、どうしていつもヴィトンの大きなバッグで来るのだろう???と不思議に思いました。




そんなこんなで3日目の出来事です。

この日、初めてチーム4人全員が揃いました。

作業を始めていくと、きちんと数えたはずの封筒が一通足りません。

みんなで探しましたが見つかりません。

Nさんの顔色がだんだん不機嫌になっていくのが分かりました。

そしてその不機嫌は私一人に向けられていることもわかりました。

私は仕事はできないくせに、他人の気持ちに敏感なところがあるのです。


次の日、行方不明の封筒も無事に出てきて順調に作業が進みました。(Nさんはお休み)


10日間の作業も中盤に入り、いよいよ封筒にのり付けというところまできたその日の夜、派遣会社の担当者から電話がありました。

「ももんがさん!明日からチームを代わってください!」

「・・・は、はい」

ピンときました。

Nさんが派遣会社の人に言い付けたのだと思いました。

ももんがさんはみんなの足を引っ張っている 数すら数えられない
などなど。

確かにその通りかもしれません。いやその通りです。


すっかりやる気をなくした私は派遣会社の担当者に電話しました。

「母が倒れて入院したので辞めさせてください」・・・と。

ごめんね。お母さん。何回病気にさせたことか・・・。
(母は大型犬2匹を散歩に連れて行くくらい元気


社会人として無責任なことをしてしまい反省しています。

本当にゴメンナサイm(__)m

そして封入作業の大変さも勉強になりました。

重たい段ボールを抱える肉体労働だということも分かりました。

もう二度とやりたくありません。

ただ・・・派遣会社の担当者にひとことチームの変更をと言う前に私の話も聞いてほしかったなと思います。



このように今年の夏は苦い想い出ばかりです。

自業自得ですけどね。





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ゴルフも仕事のうち~その②~

2015年11月27日 | 職歴
今から約30年前、私が二十歳の頃に勤めていた商社での話です。
(前回の記事はこちら

相変わらず、先輩事務員Sさんは一人で仕事を抱えておられる中、私も雑用で毎日忙しくなってきました。

他の男性社員の皆さんも忙しそうでした。

そんな中、約一名・・ゴルフが忙しい方がおられました。


所長 です。


毎週土曜日はゴルフデー

誘うお客さんも決まっていないのに、とりあえずゴルフのコースは押さえておく。

雪でゴルフ場が休みの日以外は毎週です。

接待ゴルフというより、完全に自分のお楽しみゴルフ

時はバブル期。

どこの会社もこんな感じだったのでしょうか。


一緒に回っていた取引先の人が腹痛を訴え「帰りたい」と言っても聞かず、そのまま最後までゴルフを続行したり、
(一年後その方は死亡)

ゴルフコンペでお客様を差し置いて、自らが優勝したり、
(周りからは大ヒンシュク)

毎年年末には男性社員と忘年会ゴルフをしたり、
(なぜ男性社員だけ?と先輩Sさんお怒り)

それはもうやりたい放題。

言うまでもなく、全て会社の接待費です。


自分は会社のお金でゴルフ三昧のくせに、トイレのレンタルタオル(最近では見かけなくなった引っ張り出すタイプの昭和のタオル)は10センチ以内までとか言って決まり事を作ったり、

手が拭きにくいったらありゃしない!


あと、冬なると日本海側まで出かけ、たくさんカニを買ってきてはお客様に配るんだと言っていました。

うそつけ・・自分で食べるんやろー 

みんな大人です。

所長の行動には見て見ぬふりをしていました。



そんな所長も私が辞める頃には常務になり、数年後に退職金を貰い円満退社したそうです。

本当に運の良い人っているのですね。

なぜなら・・・その会社は所長が辞めてまもなく自己破産したのです。

バブル時代にゴルフ三昧。(会社の金で)
冬にはカニ三昧。(会社の金で)

現在79歳。心身ともに健康。
(年賀状に小生医者知らずです・・と書かれていた)


きっと所長は前世において良き行いをされてたのでしょうね。




バブル時代の5年間~その①~

2015年11月25日 | 職歴
税理士事務所を辞めてすぐにハローワークへ行きました。

仕事はすぐに見つかりました。

1985年バブル期。私は二十歳でした。

その会社は商社で男性5名、女性は私を入れて2名となりました。

本社は東京で全国あちこちに営業所がありました。

仕事は一般事務です。

先輩女性社員Sさんの補助的なお仕事です。

Sさんは、当時35歳で独身、大人しく控えめでとても良い人です。

最初の1~2ヶ月は本当にお手伝い程度の仕事で、なかなか時間が経たなくて疲れました。

それが3ヶ月経っても半年経っても変わらず、私はいつもひまでした。

本気でやれば30分位でできる仕事を2時間位かけてやっていました。

そうしないと間がもたないのです。

Sさんに「次は何をやりましょうか?」と聞いても、「うーん。今のところはすることないからその資料でも見てて」

毎日こんな感じでした。


ひ・ま・す・ぎ・る・ー 


Sさんは営業所で一番古く、所長をはじめ男性社員の誰一人口出しはできません。

私はいつもひまでしたが、Sさんは残業するくらい忙しそうでした。

なんだか私は遊んでいるみたいで、すごく嫌でしたー。


半年位過ぎたある日、一人の男性社員さんがこう切り出しました。

「メーカー別に担当を決めよう!」

ですが最後の最後までSさんは変わりませんでした。

Sさんは今まで通り仕事を一人で抱え込みたかったのでしょう。

それを見かねた男性社員の人達から、私は色々と仕事を頼まれるようになりました。

いえば・・・雑用です。

営業所のこまづかいと呼ばれていました。(笑)

20~25歳までの5年間、私はこまづかいをやり遂げました。

時はバブル期です。

たいした仕事をしていなくてもボーナスは結構もらってました~。




ちなみにですが・・・Sさんは未だに独身です。


次回はゴルフ三昧所長のことについて書きたいと思います。





まだ生きていらっしゃった・・あの税理士さん

2015年11月22日 | 職歴
専門学校を卒業した私が最初に就職したのは税理士事務所です。

卒業式は3月ですが、12月頃からアルバイトって形でその税理士事務所で働いていました。

当時(30年前)にしてはまだ珍しいコンピューター会計をうりにしている事務所でした。

税理士さんは、その当時65~70歳くらいだったと思います。

怒鳴りまくるおじいちゃん税理士さんでしたが、後姿がDrスランプののりまきせんべいに似ていてちょっと可愛かったです。


スタッフは全員で12、3名。男性は一人だけでした。

1班、2班と2チームあり、1班は税理士さんのお気に入りの人で構成され、2班はそれ以外の人で構成されていました。

私はと言いますと・・・・2班でした~

同期は4人でしたが、すぐに2人は辞めました。

とにかく雰囲気が悪かったのです。

やはり、トップが威圧感丸出しだとみんな気持ちに余裕がなくなり、新人を育てようという空気にならないのでしょうね。

それから、私が辞めようと思った理由の一つに車の免許を取り立てでまだ運転に自信がないのに、あちこちへ書類を取りに行かされるのが嫌だったからです。

結局、新人4人は半年以内に全員辞めました。

でも一つだけ楽しいこともありました。

それは社員旅行で東京ディズニーランドに行ったことでーす。

意地悪な1班の班長Fさんをはじめ、苦手な人は参加しなかったので、それはそれは楽しかったです。

なんせ二十歳ですもんね。


まだあの税理士事務所はあるのかなぁと調べてみましたら、二代目らしき人の名前とのりまきせんべい似の税理士さんの名前がありました。

もう100歳に近いのではないかと思います。

いや、もしかしたら100歳超えているかも・・。

お元気そうでなによりです。





初めてのアルバイトは19歳の時

2015年11月21日 | 職歴
履歴書の職歴の欄には全ての職歴を書かなければいけないのでしょうか?

私は最近のものから3社さかのぼって書いています。

何かで3社位書けば良いって読んだ気がするので・・。

それに20~30年前のことはすでに忘れていることもあります。


ですが、面接や派遣の登録などの時には、必ず履歴書に書いていない職歴も聞かれます。

えーと
どうだったっけー

ってことになるので、ここで今までの職歴を思い出しながら整理しておこうかなぁと思います。

アルバイトも含めて、ちょっと人生を振り返ってみますね。


私は偏差値41の高校3年の時、看護士の大学を受験しましたが当然のごとく落ちました。

当たり前田のクラッカーですよね。(←実際はそんな歳ではありましぇん)

このことは思い出したくないイヤな記憶の一つです。

今でも覚えていますよー。小論文のテーマ。

 でした。


話はそれましたが、私は看護士の大学は諦め、准看護士の道に進めばいいのに、あっさりと簿記の専門学校へ転換したのです。

その専門学校1年の時に、アルバイトデビューをしたってわけです。

19歳でした。

お歳暮時の運送会社の伝票整理です。

事務所は階段を登って広い倉庫を見渡せるような作りになっていました。

当時私は内気な女の子でした。今もですけどね。(笑)

カルタ取りと言って、ドライバーの人が伝票順に荷物を積み込むために住所&名前を読み上げ、その荷物を数人のアルバイト達が見つけるっという作業があったのですが、それが楽しそうで・・楽しそうで・・。

私も参加したいなぁ~っていつも思っていたのを覚えています。

私もやりたーいって言えばいいのにダメな女子ですよね~まったく。

そんなんだから彼氏もできやしない。


そして、もう一つ懺悔しなければならないことがあります。

その事務所は10時と15時にお茶タイムがありました。

私がコーヒーカップを洗うことになり階段を下りて給湯室のような所で洗いました。

ちょうどいい桶があったので、その中にカップをつけて洗いました。

数日後、私は衝撃を受けました。

なんと事務員さんがその桶でトイレ用の雑巾を洗っていたのです。


うわわわわぁぁぁ
トイレ用桶でみんなのコーヒーカップを洗ってしまったんだー。


その後、お中元、お歳暮と3回位その運送会社でお世話になりましたが、この事は誰にも言わず、私だけの秘密にしておきました。

今謝りたいと思います。

本当に申し訳ございませんでした。m(__)m